自衛隊屈指のエリート「パラシュート部隊」に密着 脅威のスピード降下からの“着地術”とは? 能登には“あえて行かず”
戦略予備として待機するのも任務
肉体的にも、精神的にも厳しい訓練を乗り越えた空挺隊員は、一般部隊の隊員よりも優れた身体能力を持っているともいえるでしょう。そのため、被害範囲が広範囲に渡った東日本大震災では、福島第一原発周辺での過酷な行方不明者捜索などに出動しています。
今回の「令和6年能登半島地震」に第1空挺団は出動していませんが、それには、空挺団が「戦略予備」という立ち位置にあることと、自衛隊の災害対応の手順が関係しています。
大規模な災害であっても、まずは自治体が対応するのが第一義となります。警察や消防でも手に負えない場合に、初めて自衛隊に災害派遣要請が掛かるのですが、最初に対応するのは地元の部隊です。
今回の「令和6年能登半島地震」では、それが金沢駐屯地に所在する第14普通科連隊や、その上級部隊である第10師団、富山県や福井県に所在する第4施設団の各部隊になります。
それら地元部隊でも手が足りないとなったら、戦略予備部隊である第1空挺団などが有事で必要な人員を除き、最低限の隊員を被災地へと投入します。
自衛隊はこのように段階を踏むことで、並行して他の災害派遣が発生したり、もしくは万一の事態が起きたりしても対処できるよう、必ず予備部隊を用意するようにして、1か所に全力投入しないように、あえてしています。
2024年1月の降下訓練始めは、まさに能登半島地震への災害派遣が行われている最中に実施されました。しかし、第1空挺団が諸外国軍とともに降下訓練を行うことで、国内外に空挺団とその支援部隊の能力、そして部隊の余裕を見せつけることで、大きな抑止力としてアピールすることに成功しています。
なお、この訓練において共に降下した同盟国・同志国の兵士には、慣例として陸上自衛隊の空挺徽章が与えられているそうです。
【了】
Writer: 武若雅哉(軍事フォトライター)
2003年陸上自衛隊入隊。約10年間勤務した後にフリーフォトライターとなる。現場取材に力を入れており、自衛官たちの様々な表情を記録し続けている。「SATマガジン」(SATマガジン編集部)や「JWings」(イカロス出版)、「パンツァー」(アルゴノート)などに寄稿。
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