「農業用トラクターです」箱を開けたらT-34!? ソ連の傑作戦車の原型を“アメリカから輸出”した男

日本にも売り込み “日本戦車の父”へ接触

 クリスティは、M1928が「時代の12年は先を行っている」と主張し、非公式にはM1940とも呼んでいたとか。しかしアメリカ陸軍は、戦車には装甲と火力を重視して歩兵を援護する役割を求めており、高速であれ防御の貧弱なM1928はニーズと異なっていました。先に紹介したFF駆動自走砲のアイデアなど、クリスティのこだわりはどうもアメリカ陸軍には受けが悪かったようです。

 一方で関心を示したのが陸軍の騎兵評価委員会で、メンバーには後にアメリカ軍戦車部隊指揮官として有名になるジョージ・S・パットン中佐もいました。

 アメリカ陸軍は結局、M1928の改良型M1931を研究用に7両購入して騎兵隊に配備したのみでした。クリスティはさらに外国へ販路を求め、ポーランド、ソ連、イギリスが関心を示すと、かなりグレーな商談を展開しています。

 日本にも売り込みがあり、日本戦車の父ともいわれる原 乙未生(とみお)大尉が1932(昭和7)年1月にアバディーン性能試験場で実車を視察しましたが、貧弱と評価されたうえ機械的トラブルもあり、購入には至りませんでした。またドイツからのアプローチは断っていたようです。

 なお、ポーランド軍事工学研究所(WIBI)が1929(昭和4)年にM1928を1両発注し、納期を90日後として前払金を支払いましたが、クリスティは契約条件が履行できず訴訟となり、前払金は返金されたため、M1928はポーランドには引き渡されませんでした。

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アメリカ陸軍第1騎兵連隊に配備されたM1931(コンバットカーT1)(パブリックドメイン)。

 イギリスでは、陸軍省がM1928の購入とライセンス権取得の商談を始めますが、肝心の完成車に抵当権が設定されて売却できない事態に。抵当権抹消の費用も加算することで何とか妥結したものの、今度はアメリカ政府が軍事機密であるとして輸出を禁止してしまいます。

 そこで「農業用トラクター」として書類が作られ、車体は戦車だと分からないくらい細かく分解。「グレープフルーツ」とマークされた木箱に入れられてイギリスに輸送されたのです。

 しかしイギリスで組み立てて検証してみると欠点も多く見つかったため、一部の特徴は残されたものの再設計されます。これがMk III(A13)となり、後の巡航戦車シリーズにつながっていきます。

【これがT-34の元!】クリスティ型戦車と本人(写真)

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