「農業用トラクターです」箱を開けたらT-34!? ソ連の傑作戦車の原型を“アメリカから輸出”した男
ソ連にはどうやって接触?
ソ連との商談もスパイ小説もどきなのか、単に手続きが雑だったのか分からない展開でした。当時アメリカはソ連を国家として承認しておらず、ソ連がニューヨークに置いた通商代表部AMTORG(アムトルグ)が唯一の窓口でしたが、ここは諜報機関の機能もありました。
アメリカ国務省はソ連との商取引は自己責任というスタンスでしたが、軍需品の取引は禁止していました。それでもアムトルグはクリスティの試作戦車の入手を企図し、1930(昭和5)年4月にM1931の2両を6万ドル(当時レートで約20万円)、スペアパーツ類を4000ドルで購入する契約を結びます。さらに10年間のソ連国内での生産、販売、使用の権利も取得します。
アメリカ陸軍へのM1931の販売額は1両3万4500ドル(当時レートで約11万5000円)でしたので割安だったといえますが、世界恐慌の最中であったことも考慮する必要がありそうです。参考までに日本陸軍の八九式中戦車は、1939(昭和14)年の取得価格で22万7200円でした。
2両のM1931も農業用トラクターとして書類が作られ、国務省や陸軍省の承認なしでソ連に輸出されます。秘匿工作が功を奏したのか、商取引は自己責任ということで単にチェックが甘かったのか、真相は闇の中です。
第2次大戦でソ連は、アメリカからレンドリース・プログラムで軍需品の供給を受ける関係になりますが、クリスティが「ソ連に売りこんだことを後悔している」と述べたのは、将来の米ソ対立を予感していたのでしょうか。あるいは、大活躍する戦車のアイデアを安売りしすぎたと思ったのかもしれません。クリスティは終戦を待たず、1944(昭和19)年1月11日にひっそりと亡くなりました。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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