後ろ向きプロペラ+ジェットエンジン 異形すぎる “ツイン動力” 爆撃機 どんどん奇抜に!?
モノにならなかった混合動力
また空気抵抗軽減のため、当初、パイロットとコパイロット(副操縦手)にはP-51「マスタング」戦闘機のようなティアドロップ(涙滴)型の1人用キャノピーを、それぞれ1つずつ設けていました。このため、正面から見ると、まるでカエルの目のような形をしていました。
しかし、このデザインだと2人は機内通話器を通してしか話ができず、地図やメモなどを互いに見せ合うといったコミュニケーションに支障が生じることから、のちに一般的な並列座席に改められ、キャノピーも箱型の普通形状になっています。
XB-42の試作1号機は、開発開始の翌年、1944年5月6日に初飛行します。同年12月には、アメリカ本土西海岸のカリフォルニア州ロングビーチから東海岸にほど近い首都ワシントンDCまでの北米大陸横断飛行を行い、そこで平均704km/hの速度記録を作り、優れた高速性を示しました。
しかし2機造られた試作機のうち1機は墜落。また、初飛行の翌年に大戦が終結したことなどにより、同機の必要性は急速に低下してしまいました。
そこで残された1機は、さらなる高性能化を図る目的で、左右の主翼下にそれぞれ1基ずつジェットエンジンを増設することになります。これにより、レシプロエンジンとジェットエンジンの両方を備えた混合動力機「XB-42A」に生まれ変わると、さらに俊足となり最大785km/hまで出しました。
しかし、すでに飛行機がジェットエンジンの時代になっていることは誰の目にも明らかでした。性能的な限界が見えつつあったレシプロエンジンを搭載する理由がなくなっていたのです。
しかも、混合動力機としてテストを続けていた残る1機(XB-42A)も、着陸時に損傷して飛べなくなったことで命運は尽きました。こうして同機も、修理されることなく退役となり、姿を消しています。
言うなれば「時代の仇花」として終わったXB-42爆撃機。ただ、同機の設計を基にする形で、アメリカ初のジェット爆撃機、XB-43「ジェットマスター」が造られたため、その開発は無駄ではなかったと言えるのかもしれません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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