災害派遣に「戦車」なぜ登場!? まもなく退役の「74式」が立ち向かった“見えない敵” 白羽の矢が立った戦車の能力とは?
災害派遣の74式戦車 所属は?
派遣されたのは、静岡県の駒門駐屯地に所在していた第1戦車大隊(当時)の74式戦車(排土板付き)2両と78式戦車回収車1両でした。なお、後者は整備支援用の車両で、加えて故障などで走行できなくなった74式戦車を牽引回収する役割も担っていました。
これら3両は、車体の前後に「災害派遣」のプレートを付け、戦車運搬用の特大型セミトレーラに載せられて、現地調整所、事実上の前進拠点となっていた福島県楢葉町の「Jヴィレッジ」に運び込まれ、万一に備えて走行訓練や障害処理の演練を実施していました。
幸い、福島第一原発へ出動することなく、またリモコン操作式のブルドーザーがほどなくして用いられるようになったため、5月3日には撤収しています。
なお、福島第一原発事故が起こる20年前の1991(平成3)年、長崎県の雲仙普賢岳の噴火でも74式戦車が災害派遣部隊の集結地に前進展開しています。この時は、赤外線暗視投光器を装備した車体で、これを使って遠方から溶岩ドームなどを監視する目的から、大分県の玖珠(くす)駐屯地に所在していた第4戦車大隊(当時)所属の2両が派遣されました。
この時は、やはり車体に「災害派遣」と描かれたプレートを付けていたものの、実際はその任務に暗視装置や対地レーダーを搭載した装輪式の87式偵察警戒車が充てられたため、74式戦車は実任務に就くことなく撤収しています。
このように2度にわたって「災害派遣」のプレートを付けて派遣された74式戦車。90式戦車や10式戦車では同じような任務に投入されないことを願ってやみません。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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