航空機開発の“お約束”ブチ破った! 軽い・安い・使い易い傑作機A-4「スカイホーク」ができるまで

「軽攻撃機の決定版」として現場からの評価も高い傑作機、ダグラスA-4「スカイホークII」はどのように生み出され、どのような強みを持っていたのでしょうか。

操縦も整備もしやすく、しかもコスパもいい!

 現在では一つの機種で戦闘、攻撃、偵察など複数の任務を行うマルチロール機が主流になっていますが、かつては、戦闘機、攻撃機、偵察機と役割に応じて専用の機種が作られていました。軽攻撃機の決定版とも評されるダグラスA-4「スカイホークII」はパイロットが絶賛する軽快な操縦性を持っていたうえに、整備が簡単で稼働率が高かったことから、パイロットにも整備士からも愛された機体でした。

 この機体はどのように生み出されたのでしょうか。

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アメリカ海兵隊のA-4E「スカイホーク」。アメリカ本土の演習場で爆弾を投下した瞬間(画像:アメリカ海兵隊)。

 A-4「スカイホークII」は1954年6月22日に初飛行して以来、2024年で70周年を迎えます。1979年までの四半世紀にわたって2960機が生産された本機は、名機の一つにも数えられ、現場では「スクーター」「ハイネマンのホットロッド」などいくつかの愛称で呼ばれてきました。

 この機が生み出されたのは、朝鮮戦争で地上の戦闘を空から支援する「近接支援」の重要性を痛感した米海軍が、ジェット機の時代に入り旧式化してきたダグラスA-1「スカイレーダー」攻撃機の後継機を計画したためです。その際、海軍が航空機メーカーに提示した仕様は、最大速度580マイル(927km/h)、A-1攻撃機と同量の爆弾を搭載して300マイル(480km)の戦闘行動半径を持ち、最大重量3万ポンド(13.6t)、一機当たりの価格を100万ドルとするものでした。

 これにダグラス社の主任技術者だったエド・ハイネマンが採った方針は、まず入手可能な最良のエンジンを選択し、そのエンジンに合わせるように機体を設計してゆく手法でした。

 その結果、エンジンにはライトJ65が選ばれました。J65はイギリスのブリストル・シドレーが開発したジェットエンジン「サファイヤ」をベースモデルとしており、アメリカでも生産されていた「キャンベラ」爆撃機用にアメリカ国内でライセンス生産されていたものでした。

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