「九州初の電車でした」半世紀前に消えた私鉄の“唯一の生き残り”ついに公開へ 廃止は「県の要請」だった
7両造られたけど、現存たった1両
大分交通別大線は、おおむね国道10号に沿って敷設されており、かんたん~東別府駅前間は国鉄日豊本線とも並走していました。別大線は道の駅「たのうらら」のある敷地の近傍を走っており、すぐ近くに白木や田ノ浦といった停留所もあったことから、その点でもこの路面電車は「地元史の語り部」的存在とも言えるでしょう。
展示されているのは、1959(昭和34)年製の「506号車」です。同車は大分交通が1956(昭和31)年から1959(昭和34)年までに7両調達した500形電車の後期生産モデルで、近畿車両で造られています。
車体サイズは全長12.92m、幅2.34m、高さ3.894mで自重は17.2t。乗車定員は90名でうち38名分の座席が用意されていました。
製造から8年後の1967(昭和42)年には九州車輌でワンマン改造を受けたものの、前述したようにそれから10年も経たないうちに路線そのものが廃止されたため、7両造られたうちの2両は岡山電気軌道へと譲渡され、残る5両のうち、2両が大分市、1両が別府市へそれぞれ寄贈され、両市の公園で保存・展示されることになりました。
ただ、保存された3両のうち2両(大分市と別府市各1両)も1992年と2004年に相次いで解体されたため、残っているのは「506」号車のみとなりました。ちなみに、同車は当初、大分市中央町の若草公園に展示されていたものの、公園改装に伴い1996(平成8)年に同市内の佐野植物公園へ移築されています。
しかし、2023年には道の駅「たのうらら」の新設計画を受けて田ノ浦ビーチ近傍へと再移設され、建物内で保存・展示される流れとなりました。
コメント