史上初「民間船を撃沈せよ!」海上自衛隊への出動命令 潜水艦まで出た“災害派遣”その顛末は
「不沈艦」相手に大苦戦! やがて訪れるその「時」
魚雷攻撃の終了後、3度目の艦砲射撃が行われ、さらなる大火災を起こすものの、「第十雄洋丸」は炎上しながらその姿を海面上に保ち続けます。ゆえに、「これは不沈艦なのでは?」と不安になる隊員もいたようで、自衛艦隊司令部も増援として呉で待機していた潜水艦「はるしお」に出動命令を出しました。
しかし、ようやくその「時」は来ました。潜水艦「はるしお」が呉を出港してすぐ、「第十雄洋丸」は数回の大爆発を起こし、後部甲板が沈み始めたのです。海中にいた「なるしお」も浮上し、すべての船がその様子を、息を飲んで見守りました。次々とタンクが爆発し、その火柱は300mを超えます。そして「第十雄洋丸」は、船首を天にかざすように屹立すると、大渦を発生させながら海底へとその姿を消していきました。
11月28日18時47分、衝突事故の発生から20日。ついに「第十雄洋丸」は、沈没したのです。
世界屈指の過密航路として有名な東京湾・浦賀水道。行き交う船の多さから「海の銀座」と形容されることの多いこの海域で、大事故を二度と起こさないよう、海上保安庁はその後、羽田航空基地内に特殊救難隊を発足させたほか、消防船や消防艇、えい航能力に優れた巡視船の整備を進めました。
また事件から約2年半後の1977(昭和52)年2月には、横浜市中区に「海の交通管制室」といえる東京湾海上交通センターが開設され、船舶交通の安全性及び効率性を向上させています。
その後、この種の海上交通センターは名古屋港、伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海(備讃瀬戸と来島海峡)、関門海峡の6か所にも設置され、船舶の往来を日夜見守り続けています。
【了】
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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