「戦車に“橋”載ってる!!」 今後も見られる? いまやタイヤの時代だが
地形の凹凸や敵の障害物を戦車が乗り越えるために必要なのが戦車橋です。日本では74式戦車ベースの91式戦車橋が現役ですが、74式戦車は退役済み。機甲戦力の装輪車化が進む中、それに対応し91式に代わる戦車橋が求められます。
戦車橋の始まりはいつ?
戦車橋のルーツは戦車の登場と時を同じくしています。第1次大戦で登場した世界最初の戦車「マークI」は、戦場の荒地を履帯で走破できたのは画期的だったものの、それでもあちこちに掘りめぐらされた塹壕や砲弾の落下痕などにハマると動けなくなりました。
そこで溝を埋めるための長さ約3m、直径約1.5mの鎖で束ねられた薪をマークIの車体に載せて、地面の隙間に落として埋める工夫をしました。これが戦車橋の始まりといえるでしょう。
溝や鉄条網、バリケードを乗り越えられる戦車橋のニーズは高く、戦車を国産している国の多くで研究されますが、構造は複雑で技術的ハードルが多く、製造コストも高くなることからレアな装備でした。第2次大戦にも登場しますが数が少なく、活動記録も多くありません。
第2次大戦でドイツ軍は、戦車中心の機甲部隊と自動車化部隊の機動力を武器とするいわゆる「電撃戦」を編み出しました。支援部隊も戦車の速度に追従する必要があるため、IV号戦車ベースの「ブリュッケンレガー」という戦車橋を1940(昭和15)年までに約20両製造しました。対フランス戦にも投入されましたが、軍の要求を十分満足させる性能ではなく、ほどなく駆逐戦車に再改造されてしまいました。連合軍もシャーマン戦車やチャーチル戦車などをベースとする戦車橋を開発して配備しています。
日本でも戦車壕を迅速に越えるために、工兵用の超壕機TGが研究開発されました。橋を火薬の力によって打ち出して架橋するというユニークな構造でした。1942(昭和17)年に1両が製作されましたが、試験運用にとどまり部隊配備はされませんでした。
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