「ヤンキーのガニ股乗りスクーター」の元祖に!? 女性向けのソフトバイクが、なぜかツッパリの熱い支持を得ちゃったワケ

1970年代中盤から確立されたジャンルであるファミリーバイク。なかでも革命的な存在として、のちのスクーターブームにもつながったのが、ヤマハから発売されたパッソルです。そんなパッソルにまつわるさまざまな「逸話」について、ご紹介します。

ロードパルに対抗して登場したスクーターモデル

 1970年代中盤、ファミリーバイクなるジャンルが確立されました。1976(昭和51)年に発売されたホンダの女性向けファミリーバイク、ロードパルを起源とするもので、以降各社ともに「ママさん向けバイク」を続々とリリース。そうしたなか特に革命的で、後のスクーターブームにも繋がったのが1977(昭和52)年にヤマハから発売されたパッソルでした。

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発売当初の広告より。あくまでもパッソルは主婦向け、女性向けとして登場した(画像:ヤマハ)。

 ホンダのロードパルが、女性従業員に「スーパーカブの不満点」を聞き出し開発されたのに対し、ヤマハもまた女性でも乗りやすい「ソフトバイク」というカテゴリーを掲げ、パッソルを開発しました。スカート姿の女性でも跨らずに乗れるスクーターモデルで、ステップスルーという新しいバイクスタイルを確立。生産ラインは全員女性スタッフで構成したほか、広告には女性に人気の女優、八千草薫を起用しました。

 スーパーマーケットやデパートなどの主婦層が集まる場所で展示試乗会を開催したほか、並行して「ヤマハ原付免許教室」を開催するなど、それまでバイクに跨ったことがない女性層の獲得に積極的に取り組んだのです。

 結果的に多くの主婦層をバイクの世界へと導いたパッソルは、ホンダが発売した数々のファミリーバイクのモデルを凌駕する販売台数を誇り、1978(昭和53)年には上級モデルのパッソーラを販売。パッソルシリーズは累計で100万台超えの大ヒットに至りました。

 また、1970年代までのミニバイク市場は、レジャーバイクと呼ばれるモデルが中心でしたが、80年代以降はスクーターモデルに人気が移行。このブームのきっかけを最初に作ったのも、パッソルでした。

 他方、パッソルは当時の不良少年たち……ツッパリやヤンキーと呼ばれる層にも絶大な支持を得たことでも知られています。どうしてパッソルがツッパリたちに支持されたかの理由は、諸説ありますが、大きくは2つあります。

【生産ラインにまで女性が!?】女性向けファミリーバイクの代名詞となったパッソルを写真で(画像)

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