ホンダF1の「怖~いハナシ」創成期の不幸な事故と黄金期の黒星にまつわる「奇妙な縁」

世界最高峰の自動車レースF1の1988年シーズンは、圧倒的な強さを誇るホンダが全戦全勝を達成するかと目されていましたが、不運なトラブルによって潰えます。その原因となったのは、ホンダと奇妙な縁を持つ1人のドライバーでした。

ホンダの無敗神話を阻止した因縁のドライバーとは

 中高年であれば、1987~1994年に日本中を席巻した「F1ブーム」を覚えている人も多いでしょう。当時の日本は空前のバブル景気で活況を呈していたほか、日本車が技術的にも販売的にも頂点に達した時期でもあり、それらの影響によって自動車にそれほど関心を持たない層までF1を話題とするようになっていました。

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マクラーレン・ホンダ MP4/5B。マクラーレンが1989年シーズンのために開発したF1マシンのMP4/5の改良型で、自然吸気エンジン2年目となる1990年シーズンに投入された。カーナンバー27はアイルトン・セナのマシン(山崎 龍撮影)。

 加えてこのムーブメントの立役者的存在だったのが、「音速の貴公子」の異名が付けられたアイルトン・セナと、彼が駆るホンダエンジン搭載マシンの活躍でした。なかでもインパクトが大きかったのが1988年のF1世界選手権です。この年のセナはアラン・プロストをチームメイトにマクラーレン・ホンダで戦い、チームは16戦中15勝という圧倒的な強さを見せつけています。ゆえに、その頃のF1の話題と言えば、どこが勝つかではなく、マクラーレン・ホンダが全戦全勝を達成できるか否かが中心で、それは第11戦ベルギーGPの終了まで確実視されていました。

 ところが、第12戦イタリアGPでマクラーレンは予想外の事態に見舞われます。予選からレースをリードしていたセナとプロストでしたが、決勝レースでは35周目にプロストが想定外のトラブルでリタイア。ひとり残ったセナも2周を残したところで、こともあろうに周回遅れのマシンの追い越す際に接触事故を起こしてリタイア。優勝したのはフェラーリのゲルハルト・ベルガーでした。

 この結末にフェラーリのファンは「レース1か月前に亡くなったエンツィオの魂が奇跡を起こした!」と歓喜します。それは日本でテレビ放送を見ていた若いファンも同様でした。ただ、これはあまりにも理不尽な結果に自分をそう納得させるしかなかったという側面もあったようです。

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