日本戦車って軽くて弱い!? とらわれ続けた「15tの呪縛」とは アメリカ・ドイツはどうしていたか
重量物である戦車を船舶輸送するのは、今も昔も大変なことです。第二次世界大戦当時は、陸揚げ時の制約から各国15tに収める“呪縛”がありましたが、国力と技術力で打開したのがアメリカでした。一方、日本はどうだったのでしょうか。
アメリカもドイツも15t以上の戦車を揚陸 なぜ?
冒頭に記した九七式中戦車の重量は15t。当初の陸軍要求仕様では12t程度でした。とはいえ、同じ1937(昭和12)年に制式化されたドイツのIII号戦車は22t、ソ連のBT-7戦車は13.8t、アメリカのM2軽戦車は11.6tであり、当時としては諸外国と比較してもそれほど見劣りするスペックではありませんでした。しかし、日本は進化に取り残されます。
![Large 20250212 01](https://trafficnews.jp/wp-content/uploads/2025/02/250131_tankj_02-456x600.jpg)
しかし、ここで疑問がわきます。当時、輸送船のデリックは、どの国のものでも、さほど能力差はありませんでした。開戦時、フィリピンで日本軍を迎撃したアメリカのM3軽戦車も重さ13t。なぜなら、アメリカもこの呪縛を受けていたはずだからです。
それにもかかわらず1943(昭和18)年11月から、アメリカ軍は重さ30tのM4中戦車を大量に船舶輸送して反攻作戦に投入していきます。ドイツ軍は57tもある「タイガーI」重戦車を、北アフリカ戦線のチュニジアに船舶輸送し、初陣を飾っています。「15tの呪縛」は、日本戦車だけに作用し続けたのでしょうか。
アメリカ軍では船首部分に大きなランプドアを備え、戦車やトラックが船内から直接上陸できる車両揚陸艦(LST)を大量に建造しました。すなわち、ロールオン/ロールオフ方式(Ro/Ro)です。重い戦車も自走で陸揚げできるようになったことで、この呪縛から解放されました。アメリカは戦争の序盤から物流や輸送能力の重要性を認識しており、兵器だけでなく輸送インフラにもリソースを投じたのです。
一方ドイツ軍はこの呪縛の埒外でした。「タイガーI」が北アフリカに渡ったのは、あくまでも例外になります。
Lo/Loでは文脈の意味おかしくなりませんか?