グアムに行ったら旧海軍の潜水艦がありました 艦首が変な形をしていますが、どんな使い方だったのでしょうか?

日本ではリゾート地として有名なグアム。そこの太平洋戦争記念館ビジターセンターには、旧日本海軍の潜水艦「甲標的」が保存・展示されています。ただ、グアム島の攻防で潜水艦は使われたのでしょうか。調べてみました。

最終的には特攻兵器へ

「甲標的」は敵地攻撃だけでなく、拠点防御のための兵器としても使われています。1944年にはフィリピンのセブ島周辺に拠点をつくり、そこから出撃して狭い水道内で船団部隊を襲撃。約4か月の短い期間でアメリカ海軍の艦艇17隻を撃沈(日本海軍のみの報告、米軍側記録では確認できず)したと言われています。

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グアムの太平洋戦争記念館ビジターセンターに保存・展示されている「甲標的」の展示パネル。写真に写っている座礁している艦は、グアムではなくハワイで撮影されたもの(布留川 司撮影)。

 一定の戦果を挙げた「甲標的」でしたが、その性能不足は明らかであり、旧日本海軍は改良型として「蛟龍(こうりゅう)」を開発しました。「甲標的」を大型化して発電用のエンジンを搭載することで航続距離が伸びているのが特徴です。しかし、開発された1944年は太平洋戦争末期で本土決戦が現実的になった頃であり、「蛟龍」も日本周辺の海域で進攻してくるアメリカ海軍の艦艇を迎撃することを想定していました。

 また、より確実な戦果を挙げるため、魚雷自体に人を乗せた特攻兵器「回天(かいてん)」も開発されました。こちらは乗員が乗ったまま体当たりする潜水艇で、このような人命損失が前提の兵器が開発されたのは戦争末期の敗色濃厚な機運が一番の理由ですが、「甲標的」の片道攻撃に近い運用によって、当時の潜水艦の関係者が体当たり攻撃を現実的な運用方法として考慮していたことも大いに関係していると言われています。

 現在のグアム島は、美しいビーチが広がる平和な観光地ですが、太平洋戦争中は近傍のサイパン島やテニアン島などとともに激戦が繰り広げられた地です。また島内にはアメリカ空軍の基地や海軍の拠点が今もあり、「甲標的」だけでなく太平洋戦争中の戦跡がいくつも残っています。

 もしグアムを訪れる機会があれば、こうした場所を巡り、一時でも過去の歴史に触れてみるのも良いかもしれません。

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雑誌編集者を経て現在はフリーのライター・カメラマンとして活躍。最近のおもな活動は国内外の軍事関係で、海外軍事系イベントや国内の自衛隊を精力的に取材。雑誌への記事寄稿やDVDでドキュメンタリー映像作品を発表している。 公式:https://twitter.com/wolfwork_info

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