住宅地に巨大なコンクリート柱なぜ! 戦争で消えた「幻の京王線」じつは今でも一部現役です

東京都の郊外、八王子市に大正天皇が眠る多摩陵があります。かつては、その近くまで、京王御陵線という鉄路が延びていました。戦争の影響で廃止になったその路線の紆余曲折を振り返ります。

京王高尾線の一部に残っていた!

 その後、戦局の悪化に伴い、御陵線は1945(昭和20)年1月21日に「不要不急線」の指定を受け、休止が決まります。

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大正天皇多摩陵(石津祐介撮影)。

 不要不急線とは、軍事上撤去しても影響が少ないとみなされた路線で、輸送量の少ない支線や、観光輸送などが主力の別線、近傍に並行路線があり代替輸送が可能な路線などが対象とされました。

 これに指定されると、レールや橋脚、枕木などを他の重要線区に転用したり、武器を造るための金属供出で各種資材が転用されたりするため、事実上の廃線でした。私鉄路線などは、戦後そのほとんどが復活せずに消滅しています。

 御陵線も同様で、戦後の1948(昭和23)年に東急から再分離を果たした京王帝都電鉄は、宅地開発に伴い北野~高尾山口間を結ぶ高尾線を計画した際、御陵線の北野~山田間こそ復活させたものの、1964(昭和39)年に山田~高尾山口間が免許認可されると、同年に御陵線を正式に廃止しています。

 そして、高尾線は1967(昭和42)年10月1日に開業しました。なお、御陵線の片倉駅は路線の休止中に国鉄横浜線の片倉駅が開設されたため、京王片倉駅へと改称しています。

 こうして歴史の流れの中に姿を消した御陵線ですが、その遺構は高尾線だけでなく、廃線跡にいくつか見ることができます。国道16号を跨ぐ京王片倉駅下り線の架道橋のプレートガーダーは、御陵線開業当時のもので、「昭和五年 株式會社 横河橋梁製作所 製作」と書かれた銘板が今でも付いています。

【立派だな!】かつて八王子市内にあった「多摩御陵前駅」です(写真)

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