住宅地に巨大なコンクリート柱なぜ! 戦争で消えた「幻の京王線」じつは今でも一部現役です
東京都の郊外、八王子市に大正天皇が眠る多摩陵があります。かつては、その近くまで、京王御陵線という鉄路が延びていました。戦争の影響で廃止になったその路線の紆余曲折を振り返ります。
多摩御陵への参拝者輸送として
かつて東京都下、八王子市の北野から武蔵陵墓地(多摩御陵)のすぐ近くまで、京王電気軌道(現:京王電鉄)の御陵線が延びていました。

この路線は、皇室墓地である多摩御陵への参拝客を輸送するために、京王電気軌道が敷設したもので、北野~御陵前間の6.4kmが1931(昭和6)年3月20日に開業しています。
そもそも多摩御陵は、1926(大正15)年12月25日に崩御した大正天皇の陵(いわゆる王墓)です。東京に陵墓が設けられたのは初めてであったことから話題となり、1927(昭和2)年からは一般参拝がスタートし、全国各地から参拝客が訪れるようになりました。
そこで、それら多くの参拝客を運ぶために専用線が敷設されたというわけです。御陵線の停車駅は、京王本線との乗換駅である北野駅のほかに、片倉、山田、横山、御陵前の4駅が設置され、土日には四谷新宿駅(現:京王新宿駅付近)から直通運転が行われていました。
1937(昭和12)年には、沿線の乗客誘致のための施策として観光地を強調するよう、駅名が改称され、その一環で横山駅は武蔵横山駅に、御陵駅は多摩御陵前駅に変わっています。
なお、1938(昭和13)年には、各地に乱立する交通機関を調整するため、鉄道省が陸上交通事業調整法を公布しました。これによって太平洋戦争中の1944(昭和19)年、京王電気軌道は東京急行電鉄(現:東急電鉄)へ株式を譲渡し、吸収合併されました。
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