80年前にポルシェが作った「世界一重い戦車」とは? 最新技術詰め込むも実戦投入されなかったワケ
2023年現在、世界で最も重い戦車は、第二次大戦中に作られた「マウス」とされています。しかし同車は試作のみで実戦に投入されたことはありません。なにが原因だったのでしょうか。
橋…渡らなければよくね?
「マウス」に比べればかなり軽い戦後の主力戦車でも60t程度の車体重量があるため、橋の通過は問題になることが多いです。仮に橋を渡れたとしても、橋の損傷するなどの問題もあります。しかし3倍の重量があるマウスは既にその次元ではありません。橋自体が落ちるか、ひしゃげてしまうほどでした。

そこでポルシェ博士はなんと、「橋を渡らなければいい」と考え、車体を水密構造とし、動力にエンジンと発電機、電動モーターを組み合わせたハイブリット方式を採用。対岸に置いた発電機とケーブルで接続し、外部からの電力供給でモーターを駆動させて「マウス」を潜水渡河させ、その後は渡河した「マウス」も動力として、続々と後続に電力を供給する計画をたてます。
これがどこまで上手くいったかは定かではありません。しかし、ポルシェ博士こそ、1902年に世界で初めて実用的なハイブリッド車を開発したその人であり、決して突飛な思い付きで考えた計画ではないことがうかがえます。
こうした実現可能か不可解か不明な部分を残しつつも、ヒトラーのお墨付きを得た同戦車は150両分の生産準備が進められました。しかし、1943年7月以降の戦局悪化により既存の戦車生産が優先されたため計画は中止され、結局2両の試作車両が作られたのみとなりました。
さらに、作られた試作車も、カタログスペック通りの性能を発揮することはありませんでした。最大速度、登坂能力等の機動性能は計画予定値を下回っており、燃費の悪さも想定以上。さらに、機械的不調も続発したといわれ、1944年11月に正式な開発計画の中止命令が下されます。結局、独裁者の思い付きと、ポルシェ博士の技術者としての意地で進められた同戦車の開発は無駄な資源と時間を浪費しただけで終わります。
なお、試作車はクーマンスドルフの倉庫でほこりをかぶっていましたが、1945年4月末にソ連軍が同地に迫ると、迎撃のため修理され出撃します。ただ、エンジントラブルで走行不能に陥り、試作1号車はクンマースドルフ試験場の西地区でほぼ無傷で放置された状態で鹵獲されました。2号車はツォッセン郊外にて爆破処分されましたが、その巨体ゆえか形は残り、砲塔が車体から外れた状態で赤軍に鹵獲。その後、東西冷戦が始まると、アメリカなどいわゆる西側陣営の国々では行方不明という扱いを受けますが、ゴルバチョフ書記長時代の情報公開によりクビンカ戦車博物館で展示されていることが明らかになりました。
この展示車両は放置された2両をニコイチ修理した車両で、現在でもクビンカ戦車博物館で展示されているようです。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
コメント