いすゞだけじゃないから!「デザインの巨匠」が関わった日本車たち「CMで見た!」なモデルも
幕張メッセで開催された「オートモビルカウンシル2025」のゲストとして、天才カーデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロ氏が招かれました。そこで来日を祝して、彼が手掛けた日本車を4つ紹介します。
「117クーペ」以外にも! ジウジアーロ×いすゞ
こうして「マエストロ(巨匠)」の異名まで付与されるまでになったジウジアーロ氏は、ヨーロッパ車だけでなく日本車も多数手掛けています。そのきっかけが、のちに仕事のパートナーとなる宮川氏との出会いでした。ベルトーネのチーフデザイナー時代、宮川氏から東洋工業(現・マツダ)を紹介されたジウジアーロ氏は、初代「ルーチェ」のプロトタイプである「S8P」のデザインを手掛けます。そして、1965年に新たなクライアントとしていすゞが紹介され、この出会いによって名車「117クーペ」が誕生します。
当時の国産メーカーはカーデザイナーを黒子とし、新車発表時は名前を伏せることが通例でした。しかし、いすゞはこの伝統を打ち破り、スターデザイナーとしてジウジアーロ氏をフィーチャーします。この結果、日本における彼の知名度は一気に高まり、多くのファンを持つまでに至りました。
そのため、ジウジアーロ=117クーペというイメージが強いですが、彼が手掛けたのは他にも数多くあります。代表的な日本車4台をピックアップしてみましょう。
いすゞ「ピアッツァ」
いすゞというと、「117クーペ」が有名ですが、同車は1978年にその後継車のデザインを引き続きジウジアーロ氏に依頼します。それを受け、彼は1970年代初頭から手がけていたデザインスタディである「Asso(伊語でトランプのエースの意味)シリーズ」の3番目となる作品として「アッソ・デ・フィオーリ(クラブのエース)」を発表。いすゞはこれを元に、サイズとディテールをリファインしたパーソナルクーペの「ピアッツァ」を1981年に市販化します。オリジナルデザインそのままの美しいスタイリングは、当時の評論家から高く評価されました。
いすゞ「ジェミニ」
1985年登場の2代目「ジェミニ」も、ジウジアーロ氏がデザインを手掛けています。「117クーペ」と「ピアッツァ」で彼との関係を深めたいすゞは、17年ぶりとなる完全自社開発のFF(前エンジン前輪駆動)小型乗用車のデザインを依頼。4ドアセダンと3ドアハッチバックが用意され、コンパクトなボディに合理的なパッケージングの組み合わせにより、いすゞ最大のヒット作となりました。しかし、市販化に当たって車体後部のデザインを変えたことにジウジアーロ氏が難色を示したため、発表時に彼の名前は伏せられています。なお、同車は「街の遊撃手」のCMコピーと、パリ市内で撮影されたカースタント同然の映像から、今でも覚えている人は多いのではないでしょうか。

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