「幻の貨物新幹線」半世紀残った遺構、来年にも見納めに 東京〜大阪5時間半
具体的に計画されていた「貨物新幹線」、その内容
「東京・大阪間の到達時分は、急行旅客において概ね3時間、貨物において概ね5時間30分を目標とすること」
「新幹線」の誕生へつながる、1958(昭和33)年に日本国有鉄道幹線調査会が運輸大臣へ出した答申書には、このように「貨物新幹線」に関する計画が盛り込まれました。そして以後、実現に向け次のような構想が練られていきます。
・新幹線の高速性能を生かし、“箱”単位で輸送する「コンテナ方式」、またはトラックやトレーラーをそのまま列車に乗せる「ピギーバック方式」にする。
・30両編成(電車方式)で最高速度150km/h。東京〜大阪間の所要時間は5時間半。
・旅客列車と競合しないよう、東京と大阪を22時以降に発車。翌朝5時までに到着させる。
・線路保守の作業時間を確保するため、週に1回運休する。
・貨物駅は東京と静岡、名古屋、大阪の4か所。
そして、東海道新幹線の開業翌年である1965(昭和40)年から、東京〜大阪間で1日あたり3往復の「貨物新幹線」運行を予定して、用地の買収など具体的な準備を進める段階にまでなります。しかし、東海道新幹線の旅客輸送量が予想を上回り、夜間の保守作業が毎日必要になるなど状況が変化。「いつの間にか貨物列車計画は立ち消えに」(公益財団法人 交通協力会『新幹線50年史』)なってしまいました。また、東京新聞が2013年に報じたところによると、インフレによる東海道新幹線の建設費増大も「断念」の理由とされています。
もしこのとき「貨物新幹線」が実現していたら、北海道新幹線の状況は現在と変わっていたかもしれません。「夜間運転」「最高速度150km/h」という当初の条件のままでは解決は難しいですが、「貨物新幹線」に半世紀の歴史があったとしたら、また違ったことにもなるでしょう。
先述した“ジャンクション”の遺構は、このとき確保された大阪の「貨物新幹線ターミナル」へ向かうため、造られたものです。ターミナル設置が予定されていた場所は現在、在来線の大阪貨物ターミナル駅(大阪府摂津市)として利用されています。
また東京で確保されていたターミナル用地は品川区にあり、その後、東海道新幹線の大井車両基地、在来線の東京貨物ターミナル駅として活用されました。
コンテナのサイズでしっかり残ってるじゃない。
まぼろしにするな 貨物を走らせろ どうせ北海道新幹線は赤字 ダイヤもガラガラ
新幹線貨物をメインにし、あいてる時間に旅客列車をを走らせろ
東洋経済の記事で見たが北海道新幹線でも営業系数は100未満で黒字。新幹線は単価高いからね。
札幌延伸すればJR北海道の貴重な収入源になる
地図が裏表逆になっとる
鳥飼基地は近畿道の東側(京都側)なんだが
リニア新幹線が開通して今の新幹線に時間的に余裕が出来れば貨物新幹線を走らすべきだと思います
今の物流は今後も増えると思いますので高速道路でのトラック輸送の軽減、ドライバー不足を考慮するなら
貨物新幹線が最適だと思います
新幹線の貨物ターミナルをうまく設計して到着したらすぐにトラックにのせて移動できるようにハード&ソフトの充実が必要と思います
使用しない構造物を長年放置すると安全上の問題が起きてくるからやむを得ず撤去することになったのではと想像します。50年近く壊さなかったのは「可能性」を残すためだったと思いたい。
「用地」は何らかの形で保有活用しておき、新幹線貨物等を行うときに備えられないものかと思います。