80年前に飛んだ日本初のジェット戦闘機「橘花」形は似てても独機のコピーじゃなかった!その切実な理由とは

日本の敗戦が目前に迫った1945年8月7日、日本の航空史上において重要な意味を持つ機体が初飛行を果たしました。海軍が開発した初めての純国産のジェット戦闘機「橘花(きっか)」です。

エンジン小さいのでサイズも機体の構造もMe262と違う!

 しかし、残された資料の中に、Me262に搭載されていた「ユモ004」よりも小型の「BMW 003」の全体図と写真が含まれていたため、これを参考に中島飛行機と石川島造船所(現:IHI)の技術者たちは、国産ジェットエンジン「ネ20」の開発に挑むことになります。また、「ユモ004」より小型のエンジンを搭載することから、機体もMe262より一回り小さく、サイズダウンされた形状となりました。

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飛行テスト中の橘花(画像:パブリックドメイン)

 主翼についても、Me262のような後退翼ではなく、当時のレシプロ(ピストン)エンジン搭載機で一般的だった、機体から直線的に伸びるテーパー翼が採用されました。主翼形状の変更は、当時の日本の工業力の限界を考慮しての選択であったとも言われています。

 実は、戦闘機用ジェットエンジンの開発は、ドイツから資料が到着する以前の1944年8月にはすでに始まっていました。ただし、やはり独自開発は難航しており、進展は遅れていました。そうした中、BMW 003の資料が日本に到着したことで、ようやく開発は軌道に乗り始めたのです。

 こうして、1945年6月に「ネ20」が完成。すでに完成していた1号機に搭載され、同年7月には地上滑走試験が実施されました。そして8月7日、ついに約11分間の初飛行が行われたのです。

 初飛行は無事成功し、技術者たちは大きな安堵を覚えました。しかしその後、8月12日に行われた飛行試験では離陸に失敗してオーバーランし、機体は損傷。修理が行われている間に戦争は終結を迎えました。

 なお、「橘花」の機体は2024年現在、アメリカ国内に複数残されており、エンジンについては1基が日本に里帰りし、IHIにて保管されています。また、2025年5月に千葉県・幕張メッセで開催された防衛・安全保障の展示会「DSEI Japan 2025」のIHIブースにおいて、その保存されていた「ネ20」が一般公開されました。

【80年前の作業跡が見える…】これが、IHIが保存する橘花のエンジンです(写真)

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