なぜ消えた食堂車 変わったそのあり方

かつて新幹線や寝台特急、昼行特急など多くの列車に連結されていた食堂車。しかし現在は、全く異なる状況になってしまいました。その背景には、どんな理由があるのでしょうか。

明治時代に登場した食堂車

 かつて東海道・山陽新幹線や寝台特急、昼行特急などに連結されていた食堂車。列車移動のついでに予約なしで利用でき、そこでは和食から洋食まで、厨房で調理されたできたての温かい料理が提供されていました。

 日本の鉄道における食堂車は1899(明治32)年、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)を走る列車に「食堂付1等車」が連結されたのが始まりとされています。その後、戦争をはさみつつ、鉄道の発展とともに食堂車を連結する列車も増えていきました。

 山陽新幹線が博多駅まで延伸した1975(昭和50)年の時刻表を見ると、新幹線「ひかり」をはじめ、東京と九州を結ぶ寝台特急「さくら」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」などのほか、西日本側では鹿児島本線の特急「有明」、日豊本線の特急「にちりん」、山陰本線の特急「まつかぜ」、紀勢本線の特急「くろしお」、北陸本線方面の特急「白鳥」「雷鳥」「北越」「しらさぎ」などに食堂車が連結されているのがわかります。

 東日本側では、上越線方面の特急「とき」「はくたか」、信越本線の特急「白山」「あさま」、東北本線や常磐線方面の寝台特急「はくつる」「ゆうづる」、特急「はつかり」「みちのく」「やまびこ」「やまばと」「ひばり」「ひたち」、北海道内を走る特急「おおぞら」「おおとり」「北斗」「オホーツク」などで食堂車が連結されていました。

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寝台特急「トワイライトエクスプレス」の食堂車。札幌行き列車では昼、夜、朝の3食を食べることができた(2014年10月、恵 知仁撮影)。

 昭和から平成になるころには、東海道・山陽新幹線の2階建て車両を使った食堂車や(100系)、寝台特急「北斗星」の豪華志向な食堂車「グランシャリオ」なども登場。しかし一方で営業を休止したり、車両の連結自体がなくなる列車も相次ぎ、食堂車はしだいに珍しいものになっていきます。

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コメント

4件のコメント

  1. 食堂車があると旅行、旅、出張もワンランク上がる

  2. どんなに高くて不味くて不便でも、選択肢がなかったら選ばれる。
    存在するための本当の理由が解らんものは、他により魅力的な選択肢が出来たときに淘汰されるものなのですよ。

  3. 車内販売がなかなかやってこない新幹線や特急で、飲み物の自販機さえもなかったりメンテとかで動いてなかったりすると、駅で買えなかった自分を恨みたくなるときも。
    逆に自販機があるからと堂々と「車内販売はございません。」とアナウンスされたときに自販機の選択肢が異常に少ないのもちょっとガッカリする。
    せめて車内販売がない車両だけでも、飲料以外の自販機、パンとか菓子とか見たいに日持ちがしてカップ麺のようにややこしい配管などの要らないのを設置することを検討するくらいのことはしてもいいんじゃないかと思う。
    そして、ただでさえ小さくて種類が少ない電話の自販機でお茶だけで二つとか置いてるのを見た気がするんだけど、それはすぐに変えられると思うので、早速実行して欲しい。

  4. 混んでるときの食堂車は利用しづらかったですね。でも1度、座席に座れなかったとき、最初から食堂車狙いで運良く座れ、食事時でもなかったので、コーヒー1杯で東京から大阪まで、向かいで相席になった人と粘ったことがあります。外の通路でずっと待ってる人には悪いとは思ったけど。・・・回転率悪いよな、食堂車、いずれはなくなるかもな、って漠然と感じていました。1980年代のことです。