最高500km/hで成田まで15分!? 「有望な輸送手段」と知事熱望 埼玉県がかつて本気で考えた壮大リニア計画
昭和のバブル期、大宮と成田空港をリニアで結ぶ壮大な構想がありました。埼玉県が推進したこの計画は、どのような背景で生まれ、なぜ幻に終わったのでしょうか。
五つのルート案と採算性の壁
では大宮・成田空港リニア構想の中身はどのようなものだったのでしょうか。埼玉県が1987(昭和63)年3月に公表した「大宮・成田間高速浮上式リニアモーターカー導入に関する調査」報告書から見ていきましょう。
報告書によれば、ルートは下記の5案が検討されました。
(1)大宮~守谷~成田(77.6km)線形や施工性を考慮し可能な限り市街地を避ける
(2)大宮~筑波研究学園都市~成田(97.1km)研究学園都市との直結を図る
(3)大宮~つくば~成田(94km)首都圏中央連絡道=圏央道(45km)を活用する
(4)大宮~流山~成田(72km)大宮・成田間を可能な限り直線で結ぶ
(5)大宮~流山~成田(76.4km)東京外郭環状道路=外環道(6km)や千葉ニュータウン内鉄道用地(19km)の活用を図る
大宮~成田間を直結する(1)(4)(5)に加え、つくば経由の(2)(3)が検討されたのは首都改造計画を踏まえたものです。また、いずれも当時、検討が具体化しつつあった常磐新線(つくばエクスプレス)との結節を考慮しています。
5案の各延長は72~97kmと大きな差がありますが、高速運転のリニアでは所要時間の差はわずかとして問題視はしませんでした。総建設費は(1)の4016億円が最小で、(2)の5029億円が最大、年間の運営費も(1)の368億円が最小で、(2)の484億円が最大です。
いずれの案も成田空港駅付近は、後に成田エクスプレス・京成電鉄のターミナルビル乗り入れに転用される成田新幹線の構造物を活用する計画でした。以上の案から、導入空間確保の難易度、施工難易度、コスト、需要などを比較検討した結果、埼玉県は(2)案が優位との結論を示しています。
リニア方式は、鉄道総研・JRが開発中の超電導方式、日本航空が開発中の常電導方式(HSST)、ドイツの常電導方式(トランスラピッド)を比較していますが、前述のように宮崎実験線の後継との位置付けから超電導方式の導入が前提です。最高速度500km/h、表定速度385km/hで大宮~筑波研究学園都市~成田空港間を15分で結ぶ想定でした。
建設費は県が資本金として2割を出資し、約7割を政府資金、約1割を民間資金でまかなう試算をしています。事業主体は第3セクターが建設・運営を担うほか、自治体または第3セクターが建設を行う上下分離が想定されていました。
ただ収支採算性を見ると、政府の建設費補助が得られた場合、(1)ルートは15年、(5)ルートは18年で黒字転換するのに対し、本命の(2)ルートは23年と長く、補助が得られない場合は黒字転換が不可能という結果でした。需要予測は開業5年後でも1日あたり3.5~3.7万人程度であり、元より厳しい計画だったのです。
結局、1989(平成元)年6月に新実験線の建設地は山梨県に決定。直後にバブル経済は崩壊し、旗振り役の畑知事も1992(平成4)年に退任したことで、埼玉県のリニア計画は幻と消えたのでした。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





正直東京―大阪の長距離より短距離の空港アクセスの方がリニアに向いていた