「うわ、東京のマンション価格じゃん…」160km離れてるのに!? “畑の中の新幹線駅”が約30年で大化けした、これだけの理由
新幹線はときに“周囲に何もないところ”に駅が設けられますが、その多くでは周辺地域の成長が限定的です。しかし、開業から約30年で既存市街地を超える発展を遂げた駅があります。そこは東京から160km以上も離れた場所です。
何もない場所に新幹線駅 なぜ成功?
新幹線は速達性を高めるため、急勾配や急カーブを避けた線形を求めることから、在来線との接続駅が、既存の主要駅以外に設けられたケースが珍しくありません。“周囲に何もないところ”に新駅が設定されることもあります。
そうした新幹線駅では、周囲にあらたに市街地が形成されることもありますが、多くの場合、その成長は限定的です。しかし北陸新幹線には、駅設置から30年近い歳月を経て、駅周辺が既存市街地を超えて発展を続けている例があります。それが、長野県佐久市の「佐久平駅」です。
北陸新幹線の高崎−長野間は計画初期、急勾配を避けるために軽井沢を経由せず、佐久を通るルートが想定されていました。しかし国鉄の経営悪化による建設凍結、さらにはミニ新幹線計画の検討なども経て最終的に決まった建設ルートは、規格の見直しで急勾配を許容し、高崎駅から長い上り勾配で軽井沢駅に進み、そこから信越本線(当時)の南を並行し、佐久市を抜けて上田市に向かうルートとなりました。
軽井沢からはいったん南西方向に下り、佐久市の中心街である岩村田地区の北側を通ったのちに南東に向きを変え、上田を目指します。そのため新幹線駅は新幹線単独駅として小海線との交差部分にあたる長土呂地区に設置し、小海線との乗り換えは岩村田駅までの連絡歩道を使う計画だったとされています。
また新幹線は軽井沢側から長いトンネルを通り地上に出てくることから、地上を走っていた小海線を高架化し、新幹線駅が在来線の下をくぐるという珍しい構造を採用することも決まりました。
しかし地元の佐久市は、在来線と新幹線の乗り換えが可能となるよう、小海線の新駅と乗り換え設備を、自己負担で作ることを決定。そして佐久平駅と名付けられた北陸新幹線・小海線の新駅は、1997年10月に開業しました。
この当時の長土呂地区は、市街地から離れ、平坦な土地に農地だけが広がる地域でした。しかしここに新幹線と在来線の乗り換え駅ができたこと、また佐久市がこの周囲の土地を有効利用した再開発を周到に計画していたことで、開業からの約30年でこの地域は大きく変貌、集積度の高い市街地へと進化するのです。





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