「異色すぎる急行列車」を再現! ディーゼル機関車に“気動車”を連結しちゃったワケ 「路線図にない区間」を体験してきた

ディーゼルエンジンを搭載した車両を「客車」に見立て、ディーゼル機関車を連結する団体列車が運行されました。普段は旅客列車が走らない区間にも乗り入れるなど、その行程は「異色ずくめ」でした。

さらにもう1両キタぞ!?

 北浦湖畔(鉾田市)で9分間止まった後、列車は臨時駅の鹿島サッカースタジアム(鹿嶋市)に停まりました。停車中の15分間に編成を早変わりさせるための異例の措置です。

 側線に止まっていたDL「KRD64形1号機」がやって来て、6000形に増結されました。2両あるKRD64の名称は重量が64トンなのに由来し、うち1号機は2004年に製造されました。

これで列車は、2両の6000形を挟んで先頭にKRD5、後方にKRD64-1をそれぞれつないだプッシュプルの4両編成となりました。

いよいよ鹿島臨海鉄道の“最深部”へ

 鹿島サッカースタジアムを13時24分に出発した列車は、そこから総延長19.2kmの貨物専用線「鹿島臨港線」の奥野谷浜(神栖市)まで乗り入れます。「普段は乗車できない鹿島臨港線の魅力や、見所をご案内させていただきます」という前口上で始まった車内放送は、1970年11月に貨物輸送が始まった鹿島臨港線について「鹿島臨海工業地帯の製品や原料を首都圏へ輸送する目的で建設された」と説明。

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KRD5に取り付けられた「大洗エメラルド号」のヘッドマーク(大塚圭一郎撮影)

 鹿島臨港線が特に大きな注目を浴びたのは、1978年3月に始まった新東京国際空港(現・成田国際空港)へのジェット航空機用燃料の輸送でした。

 同年5月に開港した成田空港には、千葉市の東京湾沿いにある燃料の受け入れ施設から全長約47kmのパイプラインで運ぶことになっていました。ところがパイプラインの建設工事が開港に間に合わず、白羽の矢が立ったのは鹿島臨港線でした。鹿島石油の製油所で積んだ燃料を入れたタンク車最大18両を、DLが引っ張りました。

 ただ、空港建設は激しい反対運動にさらされ、燃料輸送はテロ行為などのターゲットにされかねないリスクを伴っていました。そこで、「当時は(鹿島臨港線の貨物駅)神栖(神栖市)に機動隊が常駐し、不穏な動きがないかを見張っていた」(関係者)そうです。

 燃料輸送を引き受けた地元への“見返り”として、鹿島臨港線の鹿島港南駅(のちに廃止、現・神栖市)と国鉄(現・JR東日本)の鹿島神宮駅(現・鹿嶋市)の間で1978年に旅客輸送が始まりました。

 しかしながら、パイプラインが1983年に供用を始めたのに伴って鹿島臨港線の燃料輸送は終了し、旅客列車も幕を閉じました。燃料輸送は83年8月までの5年超で累計約5400万トンに達しました。

 車内放送では「その後はコンテナ取り扱いや、海上コンテナの輸送など時代に合わせて輸送改善が図られた」と解説がありましたが、現在の貨物輸送は鹿島サッカースタジアム―神栖間が1日3往復(日曜運休)、神栖―奥野谷浜間が平日1日1往復にとどまっています。

【ナニコレ!?】これが「異色すぎる急行列車」で入った「路線図にない区間」です(地図/写真25枚)

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