「異色すぎる急行列車」を再現! ディーゼル機関車に“気動車”を連結しちゃったワケ 「路線図にない区間」を体験してきた
ディーゼルエンジンを搭載した車両を「客車」に見立て、ディーゼル機関車を連結する団体列車が運行されました。普段は旅客列車が走らない区間にも乗り入れるなど、その行程は「異色ずくめ」でした。
「防火水槽」が面白すぎる貨物駅に潜入!
鹿島サッカースタジアムを出発して7分後、列車は上り勾配の切り通しに差しかかりました。11~15パーミルの坂が連続する区間で、「最大の貨物積載量で上る場合、速度が45km/hで走っていてもKRD形ならば約15km/h、KRD64形ならば18km/h程度まで低下します」と説明を受けました。降雨や、落ち葉によって線路の状態が思わしくない場合には車輪の空転が断続的に発生したり、列車が立ち往生したりすることもある「運転士の腕が最も試される区間」だそうです。
鹿島サッカースタジアム発車の24分後に神栖に到着した際、左側に一風変わった防火水槽が出現しました。これは国鉄がガソリン運搬するため1962年から546両を製造した35トン積みタンク車タキ9900形の「タキ49982」の車体を活用したもので、「台車が外されていること以外は最も原形を保っている」とされます。
敷地面積が約6万9000平方メートルの神栖は、14番線まであります。うち使用を休止している1番線には、1978~83年の旅客列車運行時に使われていた神栖のホームが残っていました。1日3往復しか走らず、利便性が劣っていたため80年の1日平均利用者数はわずか17.3人でした。
1番線は、隣の2番線より沈んでいる部分があります。これは「東日本大震災による液状化現象で地盤沈下が起きた」そうで、震災遺構として保存しているそうです。
神栖からは鹿島臨海工場地帯の工場群が現れます。駅から約5km先の鹿島港南踏切の付近に、かつての旅客列車の終点だった鹿島港南駅がありましたが、車内放送では「今や駅の痕跡は全くなく、昔を偲ぶことは全くできません」と断言していました。
その約1km先にある駐車場が広がった場所は「廃止された貨物駅の知手(しって、神栖市)がありました」との解説。ここから複数の工場と結ぶ専用線が枝分かれしていました。
神栖を出て15分後、奥野谷浜で列車が止まりました。進行方向が反対になり、KRD64-1を先頭にして神栖へ折り返しました。





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