東急田園都市線はなぜ中央林間を目指したのか? 「終点を変更されたい」ライバルの提案をスルーした過去
東急田園都市線の終点は、小田急江ノ島線と接続する中央林間駅です。しかしこの地はかつて、小田急が開発を断念した場所でした。なぜ東急は、ライバルの夢破れた地に乗り入れたのでしょうか。
中央林間を見つめる東急に、小田急が「謎の推薦」
東急は1954(昭和29)年3月に有料道路の免許を申請しますが、地元の反応は否定的でした。開発初期はコストの安い高速道路でまかない、道路が飽和状態になったときに鉄道を建設する考えでしたが、当時は一般庶民に自動車が普及していない時代。馴染みある鉄道が欲しいという声が上がるのは当然でした。
沿線開発には地主の協力が欠かせません。そこで東急は1956(昭和31)年9月に溝ノ口~長津田間の地方鉄道敷設免許を申請し、アクセスを道路と鉄道の二軸にしました。
翌1957(昭和32)年、東急は早速、長津田~中央林間間を追加申請しました。申請書類には「長津田以遠にも住宅適地が多く、小田急江ノ島線と連絡する方が将来いろいろな面で有利である」と記されています。
東急の殴り込みに慌てたのが小田急です。1960(昭和35)年5月に開催された免許申請の公聴会で、小田急は次の内容の書簡を提出しました。これがなかなか面白いので、そのまま引用しましょう。
「貴社申請の終点予定地中央林間およびその周辺は弊社の新宿線の勢力圏内と考えられますので、貴社の終点予定地を弊社江ノ島線の鶴間以南に変更されたいと存じます。なお大和・鶴間地区は、工場誘致等の計画があり、将来の発展が予想されており、地元民もこの方を歓迎している情勢にありますので、貴社にとっても却って好都合かと存じます。」
鉄道の「免許」とは地域独占を認める制度(2000年に地域独占を前提としない許可制に移行)です。にもかかわらず田園都市線が小田原線(新宿線)の平行路線となり、乗客を奪われる事態を警戒していたことが分かります。その点、鶴間・大和まで離れれば影響が小さくなります。あちらも鉄道誘致しています、有望な地ですよ、と謎の推薦をしているのです。
これに対して東急は長津田以西の住宅適地を通過するには中央林間でなくてはならないとして拒否します。田園都市線にとって終点付近の開発は優先度が低く、経過地の開発こそが重要だったのです。
その他、おもしろいのが「小田急電鉄江ノ島線によって“東洋のマイアミ”江ノ島海岸に非常に早く行くことができます」との東急の主張です。もっともこれは鶴間でも大和でも成立する話ですが、ターンパイクの終点が江ノ島だったように、田園都市のレジャースポットとして江ノ島を重視していたのかもしれません。
もう一つ興味深いのが、中央林間駅近くにあるゴルフ場「相模カンツリー倶楽部」の存在です。林間都市開発の一環として1931(昭和6)年に開業した歴史あるゴルフ場で、東急の創始者・五島慶太もしばしば通っていたそうです。五島には、この地が開発に適しているという確信があったのでしょう。





隣の相模原が軍都として発展したのとは大違いだ。