わずか2路線で消えた「幻のモノレール」なぜ不遇の結末に? 最高120km/h、鉄の車輪で挑んだ“夢の技術”
60年前に相次いで開業したものの、今では消滅した「ロッキード式モノレール」。航空機メーカーが開発した意欲作でしたが、なぜ2路線のみで終わってしまったのでしょうか。
ロッキード式の特長
ロッキード式は「モノレール」の名前通り1本のレール上を走りますが、そのままでは倒れてしまいます。そこで上から駆動輪、左右から上部安定輪、計3つの鉄輪でしっかりレールを掴みます。
これではまだ車体が左右に振れてしまうため、コンクリート桁の両脇にサイドレールを設置し、車体下部のトーションバーに設置した下部安定輪とかみ合わせます。つまり車両と桁は3つのレール、5つの鉄輪で接しています。
あえて鉄輪を採用したのは、ゴムタイヤにもデメリットがあるからです。10t以上の荷重に耐える鉄輪に対し、ゴムタイヤは1輪あたり5t程度が限界なので、定員が限られてしまいます。タイヤの空気圧を常に調整する手間があり、パンクや破損の可能性もあります。粘着係数が高いと走行抵抗が増加するため、消費電力が増加し、高速運転も困難です。
ロッキード式は鉄輪のメリットを最大限活かすとともに、技術開発でデメリットを克服しようと考えました。空気バネとオイルダンバー、ローリング防止装置を組み込んだボルスタ付きボギー台車を採用するとともに、鉄輪は内部にゴムを埋め込んだ弾性車輪を用いて走行時の騒音と振動を緩和しました。
また、当時のアルヴェーグ式は1m近い直径のタイヤを使っていたため客室内にタイヤハウスが大きくはみ出していましたが、ロッキード式の駆動輪は直系610mmと小さいため客室の床をフラット化。鉄輪の大きな負担荷重と合わせて、鉄道に匹敵した輸送力を実現しました。
ロッキード式にはいくつかの標準規格がありますが、都市交通向けの「標準II型」は15m車体で1両あたりの定員は先頭車120人(最大226人)、中間車104人(最大220人)、10m車体で1両あたり定員80人(最大120人)の東京モノレール100形と比較して格段に大きな輸送力を備えていました。
また、都市近郊輸送を想定した「標準I型」は、特急形車両レベルの最高速度120km/h、最大12両運転(編成長約160m)が可能な設計でした。このことから、既設線の上空にモノレールを建設し、輸送力を増強するという用途も考えられていました。
姫路市がロッキード式の採用を決定した1963(昭和38)年の記事を見ると、「路線の立地条件、車両性能の特質などあらゆる観点から検討」した結果と記されています。興味深いのは、実際に導入された車両は「標準II型」ですが、記事には「標準I型」の数値が記載されていることです。
姫路市モノレールはわずか1.6kmの路線でしたが、将来的に延伸し、広大なネットワークを整備する構想があったことから、高速運転を念頭にロッキード式を選択したと思われます。
一方、向ヶ丘遊園モノレールはさらに短い1.1kmでその性質上、高速運転も大量輸送も必要ありません。ではなぜロッキード式を選択したかというと、建設費が安かったからといわれています。ロッキード式は航空技術を応用したアルミ合金製の軽量車両を使用するため、桁の負担が少なく、支柱の間隔を広げられます。その分、安上がりというわけです。車両は試作車を購入して使用したことからも、コスト削減の意図が強かったことがわかります。
結局、ロッキード式の特性を発揮できる舞台はついに現れませんでした。2路線に限らず、当時の国内モノレール計画に採用するには、あまりにオーバースペックでした。コストをかけてレールを3本使ってまで走らせる列車はなかったのです。日本ロッキード・モノレールは1970(昭和45)年に解散し、ロッキードは事業から撤退。川崎グループはゴムタイヤ方式の共通規格「日本跨座式」に転換しました。
その後、日本のモノレール整備は「都市モノレール」に特化していきます。高速運転の必要はなくなり、輸送力の問題もアルヴェーグ式の改良で解決しました。ロッキード式は、それとは異なるモノレール像を模索した、ひとときの「夢」だったのかもしれません。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





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