砂利・軍需品から競馬ファン・囚人まで! いろいろ運んだ異色の国鉄線、廃止50年だけど一部現役の数奇な歴史
50年前の1976年9月20日、国鉄下河原線が廃止されました。現在は武蔵野線の一部としてその姿を残すこの路線は、砂利輸送から始まり、競馬輸送、軍需輸送など時代に翻弄された歴史を持ちます。
廃止から50年、でもある意味「現役」
50年前の1976(昭和51)年9月20日、国鉄下河原線が廃止されました。今では完全に忘れ去られた路線ですが、武蔵野線の西国分寺駅付近から府中本町駅付近までの地上区間は下河原線の一部を転用しており、ある意味では現役の路線です。
下河原線は1910(明治43)年6月、中央線国分寺駅(東京都国分寺市)から多摩川の河川敷の下河原駅(貨物駅)まで7.1kmを結ぶ私鉄「東京砂利鉄道」として開業しました。多摩川流域では江戸時代から昭和中期にかけて砂利採取が広く行われており、明治時代は鉄道のバラスト(線路の砂利)として、関東大震災以降はコンクリート建築の素材として重宝されました。
1907(明治40)年開業の玉川電気鉄道(東急田園都市線渋谷~二子玉川間の前身)、1916(大正5)年開業の京王多摩川支線(現・京王相模原線調布~京王多摩川間)、1917(大正6)年開業の多摩鉄道(現・西武多摩川線)、1927(昭和2)年開業の南武鉄道(現・JR南武線)などは砂利採取を目的に開業した路線です。それどころか、東京南西部の私鉄で砂利と関係のない事業者はないといえるほどです。
とはいえ砂利輸送だけでは鉄道経営は困難であり、上記各社は旅客・貨物ともに輸送しました。東京砂利鉄道は貨物専用線でしたが、設立にあたっては地元府中の有力者に旅客輸送を約束して用地買収を進めていました。
ところが1914(大正3)年、台風による多摩川の大規模洪水で線路が流されてしまい、旅客輸送どころか経営が立ち行かなくなってしまいます。そこで鉄道省は同社を1920(大正9)年に買収し、東京都心の新線建設工事に砂利を供給する新たな役割が与えられました。
昭和期に入って沿線風景は大きく変わります。1933(昭和8)年に東京競馬場が開設されると東京競馬場前駅を設置し、翌年4月から競馬開催日限定の旅客輸送を開始しました(ちなみに当時、日本一長い駅名だったそうです)。
1935(昭和10)年に府中刑務所、1940(昭和15)年に帝国陸軍燃料廠、1941(昭和14)年に東京芝浦電気府中工場、日本製鋼所府中工場などの重要施設が沿線に次々と開設され、施設につながる専用線が整備されました。





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