「讃岐の阪急」は本家を超えてた? ハイスペ設備に温泉・「宝塚」まで 先進的すぎた地方私鉄の構想
高松琴平電気鉄道(ことでん)の前身の一つである琴平電鉄は、「讃岐の阪急」と呼ばれた先進的な事業者でした。大手私鉄並みか、それ以上の高規格な設備と先進的な経営戦略は、100年後の今にも影響を与えています。
徹底した「阪急モデル」とその遺産
四国新聞社編『讃岐人物風景』によれば、「讃岐の阪急」は車両が由来だったそうで、確かに1924(大正13)年に導入された阪急初の半鋼製車「500形」に遜色ない出来栄えです。開業時の車両である「1000形」120号、「3000形」300号が、2021年まで営業運転を続けたことも車両の先進性を示しているといえるでしょう。
駅舎にもこだわりました。大西が自ら陣頭指揮を執り、栗林公園駅は南海の羽衣駅、挿頭丘駅は阪急の仁川駅を参考に、都会的な西洋風建築を取り入れました。大西は雨の時に乗客が濡れないよう、ホーム屋根の勾配まで気を配ったといわれています。
会社創立後まもなく始まった工事は順調に進み、1926(大正15)年12月から1927(昭和2)年4月にかけて高松(現在の瓦町)~琴平間31.2kmを全通させました。同区間を所要時間約1時間、現在より多い20分間隔で運行。表定速度に換算して約30km/hで走破しました。
ちなみに1925(大正14)年の時刻表によると、省線讃岐線(現・土讃線区間も当時は讃岐線に含まれた)は同区間44kmを最速1時間38分、列車によっては2時間以上かかっていました。遠回りな上に表定速度約27km/h、しかも1日10往復程度ですから勝てるはずがありません。
同時期の本家・阪急は、阪急宝塚線が25.4kmを45分で約34km/h、阪急神戸線が30.1kmを35分で約51km/hとなっており、高速運転を前提に建設された神戸線は別格としても、宝塚線とはギリギリ比較できる数字です。
「讃岐の阪急」は鉄道にとどまりません。大西は阪急のビジネスモデルをそのまま取り入れました。例えば挿頭丘駅は「挿頭丘田園都市」の開発を前提に設置されたもので、1926(大正15)年4月に「南郊田園都市」会社を設立して約5.6万平米の土地を買い入れると、道路や下水道、テニスコートや売店を整備して、団地造成に着手しました。
また、注目すべきは1300年の歴史をもつ塩江温泉をめぐる取り組みです。大西は琴平電鉄が全通すると仏生山~塩江温泉間の鉄道建設に着手し、1928年8月に子会社「塩江温泉鉄道」会社を設立。1929(昭和4)年11月、標準軌のガソリンカー、車両は3軸片ボギー半鋼製車という珍しい形態で開業しました。
大西は「塩江温泉」会社を設立し、演芸場を持つ旅館を建設。なんと専属の少女歌劇団までつくり、「四国の宝塚」としてデビューさせたのです。温泉、鮎釣り、ホタル狩り、鵜飼い、紅葉狩りとありとあらゆるイベントで旅客誘致を図りました。
これからもわかるように、彼はマーケティングに長けていました。夏は、夕方の運賃を半額にして利用を促進し、食堂車を連結してビールや洋食を提供しました。また、念仏踊りで知られる滝宮に納涼会場を設置して、高松・琴平の双方から旅客を誘致し、2万人が訪れたこともあったようです。





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