「1人いれば100人分」日本軍の南方戦線で“驚異的な活躍”を見せた人々をご存じか? 靖国から“戻してあげたい”現地の思い
太平洋戦争の南方戦線において、日本軍として編成された台湾原住民による「高砂義勇兵」。彼らがなぜ「神兵」と呼ばれたのか、その伝説と、慰霊のために台湾で訪れるべき2つの場所を紹介します。
日本政府は「高砂義勇兵」に満足な救済をしていない
これだけ戦前の「日本」に貢献し、日本兵からも深い畏敬の念を抱かれていた「高砂義勇兵」ですが、戦後、日本が台湾の統治を放棄すると、同時に日本国籍を失ったことで給与の未払いなどが多く発生し、恩給法などによる補償対象に当たらないとされ、満足な救済がなされない状態となりました。これには明確な補償がされないまま、今日に至っています。
また、戦死した「高砂義勇兵」の多くは、同じく戦死した日本兵と共に、靖国神社で「英霊」として合祀されています。もともと「自宅で先祖を祀る」文化がある台湾原住民の遺族の中には強く反発する声も聞かれ、今日もなお戦後の日本および靖国神社の対応を批判的に捉える人も少なくないようです。
訪れたい2つのスポット
戦死した「高砂義勇隊」の慰霊のために訪れたい場所が2つあります。
1つは台北からクルマで1時間ほど、公共交通機関を乗り継いだ場合は2時間半ほどの新北・烏来エリアにある「烏来高砂義勇隊主題紀念園区」です。有志や遺族によって建立された慰霊施設で、そこには李登輝元台湾総統が揮毫(きごう)した「霊安故郷」の文字があります。
直訳すれば「魂よ、故郷に安らかに眠れ」という意味であり、靖国神社での合祀で故郷・台湾に帰れぬままの英霊を「いつかこの地に戻してあげたい」という思いが込められているとされています。
もう1つの「高砂義勇隊」に関連する場所が、台湾南部・屏東県の小高い山の中にある「高士神社」です。日本統治時代に創建された「高士祠」という日本人・地元のパイワン族双方から信仰された神社がルーツです。戦時中この地で共に過ごしていたパイワン族の「高砂義勇兵」と日本兵は、「生きて帰って来られなかったら、この神社で会おう」と約束されることがあったと言われています。
しかし、戦後に廃社となり、台風被害などによって社殿自体も無くなっていたところ、地元の有志たちが立ち上がり日本の神職に「神社の再興」を依頼。2015年に改めて「高士神社」として創建されました。
屏東県の山々を望む真っ白の鳥居へ続く階段にはパイワン族の伝統紋様が彩られており、戦時中の「高砂義勇隊」が高い忠誠心を胸に、日本のために命をかけて戦った思いが表現されているかのようです。
「高砂義勇隊主題紀念園区」と「高士神社」は、台湾を訪れた際に立ち寄りたい大切な場所です。来訪の際は慰霊の祈りと合わせて「英霊の故郷への想い」に心を寄せることが望まれます。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。





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