モンキーより小さい「公道走れる世界最小バイク」はこうして生まれた! まさに“伝説” 元ホンダエンジニアのスゴすぎる半生
「公道を走れる世界最小バイク」を開発したCKデザインの佐々木和夫さんは、元ホンダの技術者でした。その波乱万丈のバイク人生と仔猿開発秘話を聞きました。
「ポンコツレーサー佐々木くん」がホンダの研究所に就職
やがて佐々木さんは多摩テックで見たモトクロスに憧れ、レースにも参加するようになります。また、知人のツテがどんどん繋がり、バイク系出版社を経由して、モトクロスレースのブーツスポンサーまで獲得しました。まだ10代の頃のことですが、雑誌にも「ポンコツレーサー佐々木くん」の名で登場したこともあります。
「10代にしてすでにバイク関係のメディアと関係ができていて、バイク業界の知り合いが結構いたんです。ただホンダに入社できたのは、実は大学を卒業して1年後のことでした」
佐々木さんの大学卒業の頃、ホンダの新卒採用はごく限られていて、最初は荏原製作所に入社したといいます。ただし、荏原製作所にでは装置設計を担当し、バイクとは離れた分野。「やっぱりバイクの設計をしてみたい」と退社し、改めてホンダの求⼈を⾒つけ、見事、1970年に本田技術研究所に採用されます。
「その求人はホンダの工場勤務のものでした。でも、面接のときに『僕は研究所に行きたいんです』と言ったら、スンナリ研究所に入れてもらえました。ただ、このときに座った席は四輪でした。それでしばらくシビックの図面を書いたりしていたけれど、しばらく経って上司に『二輪に回してもらえませんか? 四輪が面白くないわけじゃないけど、僕は二輪がやりたいんです。無理なら辞めます』って言いました。そしたら、もうその日に二輪に移動させてくれました。
今考えると、若さってすごいですよね。本気で『ホンダで二輪やらせてくれないなら、ヤマハでもカワサキでも転職すればいいや』みたいに軽く考えていたんですから。だから後にも先輩からからかわれましたよ。『お前は、自分で言い出して四輪から二輪に異動するような奴だからな』って」
騙されたり収入ゼロになりながらも起業、元手は資本金「1万円」
見事ホンダの二輪の開発に所属することになってからは、世界選手権向けレーサーの開発やロングツアラーモデルの水冷ポンプの開発を手がける一方、ファミリーバイクのシャリィの一部の開発などにも関わります。客観的に見ても、70年代のホンダの主要バイク開発の一端を佐々木さんが行っていたわけで、ホンダ製バイクへの貢献度は高かったことと想像しますが、佐々木さんは10年勤めたホンダを33歳で退職します。
「実は騙されちゃったんですよ、台湾のバイクメーカーに。ヘッドハンティングみたいな声がかかって、すごい好条件だったからホンダを退職して、しばらく台湾に住むことになったんだけど、当初の話と全然違いました。バイクの開発もさせてもらえないし、好条件だったお金も全然もらえなくて。『こんなことしていてもしょうがない』と思って、1年ほどで日本に帰ってきたんです。
でも収入はゼロ。当時子どもがいて大変だったから、秋葉原の電気店の売り場でアルバイトしたりしましたよ。同時に、設計事務所に行って図面を書かせてもらったりして、なんとか食い繋ぐ……という状況でした。そんな中で、日本のヘルメットメーカーさんが『フェアリングの図面を書けないか?』って声をかけてくれました。フェアリングって変なカタチをしているでしょう。あれを図⾯に起こせる⼈が社内にも社外にもいなかったらしくて、その仕事をフリーで受けるようになったんです。
でも、電気店や設計事務所のアルバイトで稼いだお金は全部家に入れていたので、僕に自身はお金がないし道具がない。手元にあるのは本田技術研究所が退職時にくれた鉛筆とコンパスだけ。なんとかして自宅に製図台が欲しい、そうすればヘルメットメーカーさんの仕事を受けられると。それで『1万円』で製図台を購入し、自宅の8畳の畳部屋に置いて、ヘルメットの図面を書く仕事を始めたというわけです」





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