モンキーより小さい「公道走れる世界最小バイク」はこうして生まれた! まさに“伝説” 元ホンダエンジニアのスゴすぎる半生

「公道を走れる世界最小バイク」を開発したCKデザインの佐々木和夫さんは、元ホンダの技術者でした。その波乱万丈のバイク人生と仔猿開発秘話を聞きました。

上がり下がりが激しかった1980年代中盤

 つまり佐々木さんの独立資金はこの「1万円」だけ。それでも、ヘルメットメーカーの図面を書く仕事のおかげで、しばらくは収入が安定し始めました。ただし、佐々木さんによれば「でも初めてからの初年度だけだった」ともいいます。

「すごい安定して稼げたから『これはいいな』と思ったのですけれど、僕にはどうも商売が下手なところがあって。僕の設計はとにかく腕が良いわけです。普通の設計屋だったらとてもできない設計を、その10倍くらいの速さで仕上げちゃうわけです。しかも修正などがない完璧なものだから、どんどん仕事を終えていっちゃいました。

 体を壊してお医者さんに行って、その日一発で病気を治せたら、お医者さんは商売にならないでしょう。それと同じで僕は、速く完璧に設計を続々と仕上げていったから仕事がどんどん減っていってしまった。自分で墓穴を掘っているようなものでしたよ」

 ひとときは安定して稼げていたものの、再び極貧状態に。特に1985年は地獄のような日々を送っていたといいます。

「仕事もないし、お金もないし。でも家族には『お金がない』と言うわけにもいかない。移動するためのガソリンも買えなくて、ポンコツ屋さんに行って事故車のガソリンを譲ってもらったりして移動していました。あとは原稿も書くようになりました。10代の頃から付き合いがあった出版社はもちろん、バイク関係の出版社にあちこち営業して書かせてもらっていました。

 そんな中、1986年にドイツのバイクショーの取材が入ったんです。『この取材が終わって日本に帰ったら就職しよう』という覚悟があったんだけど、たまたまあのヘルメットメーカーさんの社長さんがいました。『挨拶くらいしなくちゃ』と思って声をかけたら『何してたの!? 探していたんだよ!』って言うわけです。

 さらに『実はうちの技術顧問になって欲しいんだ』とも。それからまたヘルメットメーカーさんの仕事が始まり、あとホンダでヒットしていたジャイロXの全天候型カウルを開発したりしました。結果的にジャイロXは宅配ピザ屋さん御用達バイクになり、全天候型カウルが大ヒットして、これも助かりました」

ホレックス、バジャジ、MZ…世界のバイクブランドを日本市場へ

 この頃から佐々木さんは海外のバイクブランドにも関わるようになります。まずはドイツのバイクメーカー、ホレックスの製造権買い取り、ホンダ製の世界最速単気筒エンジンを搭載したモデル、ホレックス644オスカの生産を始めます。

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ひょんなことから佐々木さんが輸入することになった「インドベスパ」ことバジャジ(画像:モトビートシフトアップ)

 50台を生産し、ドイツに売り込みを目論んでいたところで、東西ドイツ統一という一大変換機にあたり、ドイツでの販売の道は消失。佐々木さんは億単位の借金を抱えることになり、再びイチから出直しに。しかし、この東西ドイツ統一によって予期せぬ「怪我の功名」がありました。

「統一された直後に、ホレックス関係の仕事で東ドイツに行ったんですけど、『元東ドイツのインド大使』という人で出会ったんです。でも、東ドイツはもうなくなっちゃうし、彼は『もうインドに帰る』って言うわけ。実は僕は、前述の台湾時代に『バジャジ』というインド製のベスパを見たことがあって。当時の台湾は、イタリア本国のベスパ、台湾のライセンス生産のベスパ、そして『バジャジ』というインドのライセンス生産の3種のベスパが走っていたんですが、僕から見て一番良くできていると思ったのが実は『バジャジ』でした。

 それで、そのインド大使に試しに『バジャジ日本に輸入できませんかね』って話をしたら『できるよ』と。それからトントン拍子でバジャジの入ったコンテナが何個も日本に来て。今考えると恐ろしいことですよ。保管場所とかも考えぬまま輸入しちゃったから大変でしたが、これも若かったからこそできたこと。一部キープストックが数台残っているけれど、大半は売り切りました」

 このバジャジ輸入と同時期、佐々木さんは立ち上げたCKデザインのブランドで、MZという東ドイツ製バイクの輸入も始めます。従来のバイクメーカーや輸入業者とは異なる「バイクメーカー」として、一般ユーザーの間でも、佐々木さんとCKデザインの名が少しずつ広がっていきました。

【え、このバイクも作ってた!?】これが「世界一小さなバイク」開発者の“バイク遍歴”です(写真で見る)

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