機関砲から眺める航空兵器の脅威 陸自「L-90」高射機関砲が臨んだ実戦待機とは(写真12枚)

正体不明の航空機を撃墜せよ!

 1976(昭和51)年9月6日、午後1時38分、函館空港の上空にソ連(当時)のMiG-25戦闘機が突如飛来、強行着陸の末、乗ってきたベレンコ中尉はなんと亡命を要求したのです。

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ベレンコ中尉が搭乗していたMiG-25の同型機(画像:アメリカ空軍)。

 この最新鋭戦闘機(当時)の亡命に対し、防衛庁(当時)/自衛隊はソ連特殊部隊が奪還に来ると情報をつかんだため、空港の4km東にあった函館駐屯地に対し戦闘命令を発令、1週間後の駐屯地夏祭りで装備品展示用に使う予定で持ち込んでいた61式戦車とL-90を、函館駐屯地司令を兼任する第28普通科連隊長の指揮下に組み込み、実戦待機させたのです。

 そこでL-90は駐屯地内で一番開けている場所であるグラウンドに布陣したのですが、射撃準備が完了した矢先、なんと陸自の対空レーダーが所属不明の3目標を発見したのです。またその直後には駐屯地グラウンドに布陣するL-90の捜索レーダー(スーパーフレーダーマウス)でも一直線に函館空港にむかう3目標を捉えました。

「ソ連軍機が来襲した!」函館にいる指揮官の誰もがそう思ったそうです。すぐさまL-90は射撃態勢がとられ、実弾が装填されました。連隊長は確実を期すためにレンジャー塔(駐屯地内で一番高い建造物)に陣取る監視班へ目視での機体識別を指示しました。

「発射用意!」の号令とともに、L-90と捜索レーダーも3目標を自動的に追尾開始、射手は命令と同時に射撃できるよう発射ボタンに手を置いてその時を待ちます。

 その時でした。L-90の傍らで双眼鏡を覗いていた射撃小隊長が「目標は航空自衛隊機。発射待て!」と叫んだのです。また、ほぼ同時にレンジャー塔の監視班からも「3目標は空自のC-1輸送機」という報告が入りました。

 すかさずL-90から実弾を抜くよう号令がかかり、こうしてL-90の射撃は行われずに済みました。

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被牽引状態のL-90(2009年9月、柘植優介撮影)。
L-90の捜索レーダー、スーパーフレーダーマウス(2009年9月、柘植優介撮影)。
スーパーフレーダーマウス1基、連装機関砲2基、電源車3台で1セット(2009年9月、柘植優介撮影)。

 そもそもなぜ、空自のC-1の飛行情報が陸自に届いていなかったのでしょうか。それは札幌の北部方面総監部(函館の上級司令部)に常駐する空自の連絡幹部も知らない飛行情報だったからです。一方で空自側には函館駐屯地内に対空機関砲が設置され、駐屯地全体が臨戦態勢にあるなど知らされていませんでした。お互いに隠密に動いていたことが仇となったのです。

 それでもレーダー情報だけに頼らず、最後に目視確認までしたのが功を奏しました。こうして昭和の大事件でのL-90の出動は何事もなく終わりました。

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コメント

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1件のコメント

  1. ドローン等が増えた現在、実弾系の再配備もした方がいいのでは?