いまに残る旧陸軍の遺産、朝霞の一○○式鉄道牽引車は線路も道路も走るハイブリッド!(写真13枚)

一〇〇式鉄道牽引車、どんなクルマ?

 同車は東京自動車工業(後のいすゞや日野自動車)で製造され、それまでの軌陸車が出力の関係からガソリンエンジンを搭載していたのに対し、エンジンをディーゼル化したのが一番の特徴でした。

 搭載するエンジンは五十鈴(いすゞ)DA-63型空冷直列6気筒ディーゼルで、最高出力は90馬力、九七式軽貨車5両を牽引することが可能でした。

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動輪と車輪を付け替えるのではなく、動輪の外側に車輪を付ける(2012年2月、柘植優介撮影)。

 軌間(トレッド)は対ソ戦を睨んで、1067mm(狭軌)、1453mm(標準軌)、1524mm(広軌)の3段階に切替可能で、前後進ともに同じ速度で走行でき、単車なら60km/h、九七式貨車5両牽引でも30km/hから40km/hを発揮できました。

 また道路上を走行するためのゴムタイヤは、多数の細いゴムチューブを複数まとめて内蔵した構造で、多少被弾しても走行可能なパンクレスタイヤとなっていました。

 ちなみに日本陸軍は本車の後も「一式鉄道牽引車」や「試製三式鉄道牽引車」を開発しましたが、一式は一〇〇式のトレッドを1000mm(メートル軌)に対応可能なようにしただけで外観はほぼ同一(後に一〇〇式もメートル軌対応に改造されている)、試製三式はベースとなるトラックを一式6輪貨車に変えただけのようで、基本構造は一〇〇式を踏襲していました。ただし試製三式はほとんど作られずに終わっています。

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前部バンパーに装備するジャッキ。これで車体を持ち上げて動輪と車輪をチェンジする(2012年2月、柘植優介撮影)。
後輪用砂撒き装置の砂入れ。普通のトラックにこの装備はない(2012年2月、柘植優介撮影)。
エアクリーナーの銘板(2012年2月、柘植優介撮影)。

 これら鉄道牽引車は、特殊構造を持つトラックであったため、戦時中はもちろん、戦後も残存車両が国鉄(現在のJR)や各地の私鉄で酷使された結果、1960年代以降急速に姿を消し、現在では輸送学校に展示されている1両しか国内に現存しない(他にタイに1両あるのみ)状況となってしまったのです。

 この国内で唯一残る一〇〇式は、1967(昭和42)年6月、国鉄(当時)の東京鉄道管理局より輸送学校へ無償譲渡されたもので、長らく展示車輌として、また学校のシンボルとして残されてきたものです。

 ただし陸自所有ということで色はオリーブドラブ(濃緑色)に塗り替えられ、また長年にわたる屋外展示によって劣化が進み、部品の欠損も多かったことで、年月が経つと非常に傷んだ状態となりました。

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コメント

3件のコメント

  1. 良い記事でした。
    埼玉の鉄博に取られるところだったというウワサを聞いたことがw
    動かせないのは、これもまたウワサですが自走できると装備品になってしまい、管理上の問題があると…
    北海道で61式戦車を復活、イベントで走行展示したら財務省に大目玉喰らったという…
    なにはともあれ、朝霞で末永く保存してもらいたいものです。

  2. 大昔に鉄道部隊であった陸上自衛隊の第101建設隊の車輌じゃないんだ。

  3. 徳島では 普通の道も 鉄道のレールも走れる バス型の列車が普通に走ってます。
    都会だけでなく ぜひ」田舎にもお越しくださいな。