空自F-15Jに初の女性パイロット誕生の背景 女性と戦闘機の歴史、大戦期はエースも
時代はジェット戦闘機へ、そのとき女性戦闘機パイロットは…?
第二次世界大戦の終結にともない、各国は空軍の規模を縮小。また時を同じくして訪れた戦闘機のジェット化により、一般的に筋肉が男性に比べて少ない女性では、レシプロ戦闘機に比べて加速時や旋回時に大きな負荷がかかるジェット戦闘機の操縦に適していないと見なされたことなどから、女性戦闘機パイロットは、世界中からしばらく姿を消します。
1960年代後半にアメリカをはじめとする先進諸国では、性別による役割分担に反対する「ウーマン・リブ」運動が起こり、1979(昭和54)年には国連総会で女子差別撤廃条約が採択されるなど、男女同権の流れが加速するにつれて、アメリカやヨーロッパの軍隊では、女性の職種制限が見直されるようになりました。
この頃までには前に述べた、ジェット戦闘機の負荷に女性の肉体が耐えられないという見方に科学的根拠が無く、逆に男性よりも負荷に強いという研究も発表されたこともあって、先進諸国は1980年代中ごろから女性戦闘機パイロットの養成を開始。1989(平成元)年にカナダ空軍でディー・ブラッスール少佐(退役時)がF/A-18戦闘機のパイロットに任命されたのを皮切りに、1990年代の終わりまでにノルウェー、オランダ、アメリカなどの先進諸国で、続々と女性戦闘機パイロットが誕生しました。
実は先進諸国よりも早く、ソマリア空軍で1976(昭和51)年、アルジェリア空軍で1982(昭和57)年に、女性の戦闘機パイロットが誕生していますが、これは両国が西側先進諸国よりも女性の社会進出を積極的に進めていた社会主義国家であったためだと考えられます。
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