飯田線の「秘境駅」を訪ねて 「不安」と「拍子抜け」の狭間を旅する

「秘境」のすぐ先にあった民家の群れ

 11時22分、中井侍駅で下車。中井侍駅は長野県伊那郡天龍村に位置し、県内で最も南にある駅だ。目の前には線路、そして豊かな水量をたたえる天竜川が見えるが、色は濁っている。振り向くと、こちらは断崖、そしてその上に民家が1軒建っていた。人が住んでいるのか。それならいうほど秘境駅でもないのだろうか。

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「秘境」のはずの中井侍には人家の群れや茶畑があった(2018年8月20日、蜂谷あす美撮影)。

 ホームには名所案内板が設置されており、「三十三体観世音菩薩 東1km」とある。この名所を目指すことにして、山側に続く日陰の林道を歩き始めた。じめじめとした感じ、日の当たらない感じ、いかにも秘境駅っぽい。

「それらしさ」に感動したところで突如視界が開け、山肌にへばりつくような茶畑が広がった。民家もぽつぽつあるではないか。これ、いわゆる集落だよな。茶畑の中に続くつづら折りの道で、出鼻をくじかれた気がした。

 中井侍駅は2015年の長野統計書によれば、1日当たりの乗車人員総数は8人。内訳をみると、このうち2人は定期券利用者だ。数こそ少ないものの、日常的にこの駅を利用する人がいるのだ。

 ただ、列車の窓からだとホーム真裏の断崖しか視界に入らない。下車して駅の外を少し歩いてみない限りは周囲の様子が分からず、降りたばかりのときは「降りなければよかった、降りたくなかった」と思ってしまうのだった。そのくせ、どこにも逃げ場がないような状況を内心期待していた身には拍子抜けだった。

 こうして汗をかきながら20分ほど歩き続け、三十三体観世音菩薩に到着。「せば石」というせり出した岩を削って作られた棚に、仏像がずらずら並んでいた。

 岩肌には「宝暦七丁丑年五月吉日願主太良右エ門」と読める。いや、正直に言うと、近くの解説板にそう書いてあったのを見ただけだ。1905(明治38)年7月10日に沢水が氾濫したことで26体が流失し、その後有志によって再建されたとのこと。薄暗い沢と相まって、ちょっと密教っぽい。かつては飯田線も「雨で不通」が頻発していたし、ある意味では水とともに生きてきた路線だ。

 10分ほどではあったが名所を堪能し、駅に戻る。茶畑で作業をするおじいさん、おばあさんが見えるし、民家からは夏の甲子園、決勝戦の中継が漏れ聞こえてくる。中井侍は「文化」があふれていた。

 ホームでベンチに腰掛け、「駅ノート」を眺めた。駅ノートは有志が設置するもので、誰でも自由に記述できる。ぱらぱら繰ると、コメントに対して、赤字でお返事が書かれていた。地元の方が管理されているらしい。さらに、駅ノートと一緒に「中井侍お茶摘みツアー」のチラシが置いてあった。

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コメント

3件のコメント

  1. トリビアリズムに陥らず、簡潔で情理があり情趣もあって、とてもよい記事。あと、写真をみて、東海の駅名標はフォント、文字バランスともに非常に行き届いているなと改めて感心。そうか茶摘み体験か。いつか飯田線を行ったり来たりしてみたいです。

  2. トイレの心配もあり、なかなか秘境駅巡りができませんが、原風景ならではの自然はやっぱりいいなと思いました。いつか時間を気にせずのんびり行ってみたくなる記事ですね。

  3. ここまでメジャーになってマニアがうようよされて賑やかだったら「秘境感」は味わえなくなってしまうだろう。全国には、アクセスは容易だが乗降客が極端に少なく、マニアも来ない駅はまだたくさんある。そういった駅で「秘境感」、時が止まったような時間を過ごしたい。