WW1の名機フォッカーD.VII、その強みとは? スペックだけでは見えない名機たるゆえん

フォッカーD.VIIが英仏機より優れていたポイントは?

 英仏を中心とした連合国軍は敵国のフォッカーD.VIIを極めて高く評価していました。休戦協定ではドイツ軍が配備する諸兵器の引き渡しが求められましたが、その大部分は「野戦砲5000門」のように単に種類と数だけしか指定されていませんでした。ところがフォッカーD.VIIだけが「航空機1700機、すべてのD.VIIを優先する」と唯一名指しで明記され、本当にその名が歴史に登場したのです。

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仏軍スパッドS.VII。主翼は薄く鋼線だらけで洗練されてはいないが、D.VIIの1年前、1917年に実用化されたにも関わらず速度性能、特に急降下速度で勝った(関 賢太郎撮影)。

 実のところ英仏軍には、フォッカーD.VIIよりも1割から2割強力なエンジンを搭載し、速度性能などの数値においてフォッカーD.VIIを上回る機種はたくさんありました。レーダーやミサイルなどが実用化される以前の時代は「エンジンパワー=戦闘機の性能」であったにも関わらず、フォッカーD.VIIは英仏軍のハイパワー戦闘機を相手に負けませんでした。

 フォッカーD.VIIの強さの背景には、「敵も味方もパイロットは全員素人同然」という事実がありました。第一次世界大戦前には戦闘機という機種は存在しませんでしたが、戦中は数千、数万機が生産されるに至ります。しかし、機体はすぐに造ることができても、人がすぐに空を飛べるようにはなりませんでした。これまで空を飛ぶ乗りものすら見たことがなかった若者たちは、わずか数週間の訓練を経てすぐに戦闘機パイロットとして実戦投入されました。

 飛ぶこともやっとの技量しかない彼らに待ち受ける運命は過酷でした。ほぼ全員が初陣から1か月以内に戦死するか事故死し、どこの国も戦争が終結するまで慢性的なパイロット不足の状態にありました。

 こうした事情のなかにあってフォッカーD.VIIは、多少荒い操作を行っても失速や操縦不能な状態に陥りにくく、「操縦しやすい」という特徴を持っていました。つまりフォッカーD.VIIは素人でも機の墜落を(比較的)気にすることなく機体の性能を最大限に引き出すことが可能だったのです。

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コメント

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1件のコメント

  1. 良い記事をありがとうございます。
    脱字に気づき、書き込みます。

    しかし多くのパイロットらに愛され、同時に恐れられ、そして100年と少しばかりの戦闘機の歴史において実に10年もの長期間にわたり最先端の「地位あり続けた」~
    の部分は、正しくは「地位にあり続けた」ではないでしょうか。