WW1の名機フォッカーD.VII、その強みとは? スペックだけでは見えない名機たるゆえん

現在に通じるその「翼」

 フォッカーD.VIIは薄い主翼が主流だった当時の常識とは反し、「分厚い主翼」を持っていました。この分厚い主翼が、失速や操縦不能になりにくい理由でした。さらに大きな揚力を発生させ、機敏な旋回性能や上昇力をも得られ、しかもむき出しの鋼線を使わず内部構造だけで主翼を支えられたため、空気抵抗も小さいという大きなメリットをもたらしました。その効果の程度は、現代の飛行機のほぼすべてがフォッカーD.VIIのような分厚い主翼を持つに至っていることが証明しているといえるでしょう。

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フォッカーD.VIIの主翼。大きな「翼厚」を持ち、上面が緩く膨らんだ分厚いカタチになっている(関 賢太郎撮影)。

 第一次世界大戦における急激な進化の終着点ともいえるフォッカーD.VIIですが、その後驚くべきことに、ほとんど真似されませんでした。休戦協定において全機引き渡しを要求した英仏でさえ、フォッカーD.VIIの強さの根源を忘れてしまいました。薄い翼の戦闘機は1930年代に入ってもなお製造され続け、なかには第二次世界大戦においても実戦投入されたものさえありました。

 フォッカーD.VIIは第一次世界大戦における「最強の戦闘機」であったと言えるのかどうかはわかりません。しかし多くのパイロットらに愛され、同時に恐れられ、そして100年と少しばかりの戦闘機の歴史において実に10年もの長期間にわたり最先端の地位あり続けたのですから、フォッカーD.VIIを名機中の名機としてどのような賛辞を贈っても、その輝きに対して過剰となることは決して無いでしょう。

【了】

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コメント

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1件のコメント

  1. 良い記事をありがとうございます。
    脱字に気づき、書き込みます。

    しかし多くのパイロットらに愛され、同時に恐れられ、そして100年と少しばかりの戦闘機の歴史において実に10年もの長期間にわたり最先端の「地位あり続けた」~
    の部分は、正しくは「地位にあり続けた」ではないでしょうか。