消えゆく戦闘機F-4「ファントムII」 空自百里基地で「ラストファントム」飛ぶ(写真21枚)

日本における「ファントムII」

 日本の航空自衛隊に「ファントムII」が導入されたのは、1971(昭和46)年のこと。世界で初めてF-4EJ「ファントムII」としてライセンス生産が許可され、1981(昭和56)年の生産終了までに輸入したRF-4Eと合わせ、154機を導入しました。

Large 181226 f4 05

拡大画像

百里基地の滑走路を飛び立つ第301飛行隊のF-4EJ改。後方にうっすらと見えるのは筑波山(月刊PANZER編集部撮影)。

 導入後、1976(昭和51)年の「ベレンコ中尉亡命事件」なども起こり、低空目標への探知能力不足など課題も明らかになりましたが、1981年にF-15Jが採用されるまで、F-4EJ「ファントムII」は日本の主力戦闘機として運用されました。そう、当初の予定ではF-15の導入により、その一部は偵察機として残るものの、「ファントムII」は引退する予定でした。

 しかし、ここで予定外のことが起こります。支援戦闘機として運用されていたF-1の引退が間近に迫っているにもかかわらず、その後継機であるF-2が完成していなかったのです。そこで白羽の矢が立ったのは「ファントムII」でした。

Large 181226 f4 06 Large 181226 f4 07 Large 181226 f4 08

拡大画像

拡大画像

拡大画像

「ファントムII」が装備するJ79ターボジェットエンジン(月刊PANZER編集部撮影)。
F-4EJが機首下に装備する20mmバルカン砲(月刊PANZER編集部撮影)。
偵察機型のRF-4Eの機首のアップ。機首下にバルカン砲がなく、代わりに左右と下方向にカメラ窓が設けられている(月刊PANZER編集部撮影)。

 もともと制空戦闘機として運用するため、対艦・対地攻撃能力をカットして航空自衛隊に導入されたF-4EJ「ファントムII」。そこに対艦・対地攻撃能力を再度、付与し、さらにレーダーや制御コンピュータを(当時の)最新のものに更新。ヘッドアップディスプレイシステムなども導入し、制空戦闘も対艦対地攻撃も可能なマルチロール機「F-4EJ改」へとバージョンアップされたのです。改修は1989(平成元)年から1993(平成5)年にかけて行われ、計90機が生まれ変わりました。

 日本でF-4EJ改が新たな任務を与えられていた頃、生まれ故郷アメリカでは、「ファントムII」は第一線を離れ、静かにその寿命を終えようとしていました。またイギリスも「ファントムII」を退役させ、新たな戦闘機を導入する動きが加速していきました。

Large 181226 f4 09 Large 181226 f4 10 Large 181226 f4 11

拡大画像

拡大画像

拡大画像

陸地を飛ぶことを想定し、C-1輸送機などと同じ迷彩が施されたRF-4E偵察機(画像:航空自衛隊)。
F-4EJ戦闘機を転用し偵察機に仕立て直したRF-4EJ。機首下に20mmバルカン砲が残っているのが特徴で、さらに迷彩も土茶色のない濃緑色迷彩(画像:航空自衛隊)。
並んで飛ぶF-4EJ改(奥)とF-2(手前)。F-4EJ改も第8飛行隊が運用していたときはF-2と同じ洋上迷彩を施したことがあった(画像:航空自衛隊)。

 しかし、そのほかの国は、日本同様「ファントムII」をグレードアップさせ、少しでも長く運用しようとさまざまな改修を行っています。もともとの頑丈さ、汎用性の高さなど、やはりその信頼性は、世界中で高く評価されていたのでしょう。イスラエルは独自システムと兵器を搭載できるF-4E-2020、通称「ターミネーター」を開発。ドイツもF-4Fに「ICE(Improved Combat Efficiency:戦闘効率改善)」と称するアップグレードを施して運用を続けました。

この記事の画像をもっと見る(21枚)

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

2件のコメント

  1. あの大きなオジロワシが消えるのも惜しいです。

  2. ラストニンジャみたいな言い回し