JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた? ターミナルの痕跡、いまはイベント会場に

混雑緩和のため駅のスペースを縮小

 その後、総武鉄道は国有化されて国鉄の総武本線に。1932(昭和7)年には、両国駅から隅田川を渡って中央本線の御茶ノ水駅まで延伸されました。ただ、従来のホームの御茶ノ水寄りは駅舎で遮られていて延伸できないため、南側に現在の1、2番線ホームを高架構造で新設しています。

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1、2番線ホームから3番線ホームを望む(2019年2月、草町義和撮影)。

 1933(昭和8)年以降は両国~千葉間も電化され、中央線と総武線を直通する電車の運転が始まっています。両国駅は中央・総武線の電車と房総方面に向かう列車の乗り換え地点になり、ターミナルとして発展していきました。

 戦後、国鉄は総武本線の旅客輸送力を強化することにし、東京駅と錦糸町駅を結ぶ地下新線の建設と、錦糸町~千葉間の複々線化を計画しました。経済成長に伴って総武線の利用者が増え、混雑が激しくなったためです。

 こうして地下新線の工事が始まり、1970(昭和45)年に両国発着の貨物列車が廃止されました。両国駅の北側にあった6番線や貨物設備を撤去して、地下新線のトンネル出入口付近の建設スペースを確保するためでした。

 1972(昭和47)年には地下新線が開業。さらに錦糸町~千葉間の複々線化も1981(昭和56)年までに完成し、旅客列車をたくさん走らせることができるようになりました。総武線各駅停車の混雑率(平井→亀戸間)は、地下新線開業前の1971(昭和46)年度が268%だったのに対し、1972(昭和47)年度は223%に低下しています。

 一方で地下新線の開業に伴い、東京と房総を結ぶ列車の多くは東京駅を発着するようになりました。1982(昭和57)年には両国発着の急行列車がなくなり、両国発着の特急列車も1988(昭和63)年に消滅。毎日運転の旅客列車は1、2番線ホームに停車する中央線・総武線各駅停車の電車だけになり、それ以外のホームや線路はほとんど撤去され、3番線ホームと一部の線路だけが残されました。

【地図】総武本線「都心乗り入れ」の変遷

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コメント

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3件のコメント

  1. 「本所駅から東の秋葉原へ延伸して」は「東」じゃなくて「西」じゃないですか?

    • ご指摘ありがとうございます。 訂正いたしました。

  2. 某マンガで餃子とかの食べ放題になってたような