JR両国駅「幻のホーム」はなぜ生まれた? ターミナルの痕跡、いまはイベント会場に
ターミナルの座を捨てて利用者が増加
3番線ホームが残ったのは、新聞の夕刊を房総方面に運ぶ列車が両国駅を引き続き発着していたためです。房総エリアは道路事情が悪かったため、鉄道を使って運ぶほうが効率的でした。しかし、館山道の全通(2007年)などで房総エリアの道路事情が改善すると、新聞輸送も鉄道からトラックにシフト。2010(平成22)年には新聞輸送列車が廃止され、ついに3番線ホームから定期運転の営業列車の姿が消えたのです。
これ以降、3番線ホームはほとんど使われなくなりました。運用の都合で回送列車が入るほかは、自転車を解体せずにそのまま持ち込めるサイクルトレイン「B.B.BASE」など、臨時列車や団体列車が、時々乗り入れるくらいになっています。
こうして両国駅はターミナルの座を追われましたが、両国駅の縮小によって生まれた敷地には、蔵前国技館(東京都台東区)に代わる施設として新しい国技館が建設され、大相撲観戦を目的に両国駅を利用する人が多くなりました。
東京都の統計資料によると、両国駅の1日平均の乗車人員は1968(昭和43)年度の4万5838人をピークに減少しましたが、両国に国技館が完成した1984(昭和59)年度以降は再び増加。2000(平成12)年には都営大江戸線の両国駅が開業し、JRと都営の両駅を含めた人数は約5万5000人になりました。ターミナルとしての地位を捨てたことで国技館の建設用地が捻出され、「ターミナル時代」以上に発展したといえるかもしれません。
ちなみに、JR東日本はレトロ調の駅名標を設置するなどして3番線ホームをリニューアル。列車の運転がない日を中心に、3番線ホームをイベントスペースとして貸し出しています。最近では、全国の地酒とおでんを楽しむイベント(2019年1月)や、プラレールの60周年記念式典(2月8日)が行われました。
【了】
※一部誤字を修正しました(3月8日17時30分)。
Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)
鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。
「本所駅から東の秋葉原へ延伸して」は「東」じゃなくて「西」じゃないですか?
ご指摘ありがとうございます。 訂正いたしました。
某マンガで餃子とかの食べ放題になってたような