トンネルだらけの「武蔵野南線」に乗る 知られざる貨物線、リニア工事にも一役

旅客化構想は地下鉄の整備に代わったが…

 団体列車は再びトンネルの暗闇へ。5分ほどで外に出ると、タンク車や電気機関車、ディーゼル機関車が多数停車しているJR貨物の車両基地(新鶴見機関区)に入りました。この先は横須賀線の線路に並行して走り、東海道本線の線路をまたいで鶴見駅へ。府中本町駅から約25分の道のりでした。

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多摩川を渡る武蔵野南線(右)と南武線(2019年3月21日、草町義和撮影)。

 武蔵野線は、おもに東京を通過する貨物列車が走る路線として計画されました。府中本町~西船橋間は旅客列車も走っていますが、1976(昭和51)年に開業した鶴見~府中本町間は南武線が並行するように走っていることもあり、貨物列車の専用区間に。府中本町~西船橋間とは区別して「武蔵野南線」と呼ばれることもあります。

 武蔵野線が開業する前は、東京を通過する貨物列車も東京の都心部に敷かれた貨物線を走っていました。武蔵野線の開業により、これらの貨物列車の多くは郊外の武蔵野線を走るように。東京都心の貨物線を走る貨物列車が減り、その代わりに旅客列車を増やせるようになりました。1985(昭和60)年に池袋~大宮間で運転を開始した埼京線も、山手線に併設されている貨物線を使って1986(昭和61)年から新宿駅への乗り入れを開始。これにより山手線の混雑が緩和されたのです。湘南新宿ラインも、同じ「山手貨物線」を使っています。

 なお、武蔵野南線でも旅客列車を頻繁に走らせる構想がありました。1985(昭和60)年に運輸大臣の諮問機関がまとめた基本計画では、武蔵野南線を活用した旅客線を府中本町~川崎間に整備するほか、小田急線の新百合ケ丘駅(川崎市麻生区)から武蔵野南線に合流する連絡線も盛り込まれました。

 ただ、長いトンネル内で貨物列車を営業運転しながら工事を行うのが難しいこともあり、1990年代には川崎市が地下鉄を建設する方針に転換し、武蔵野南線の本格的な旅客化構想は消滅しました。ちなみに、この市営地下鉄構想も採算性に問題があるとして、いまは中止されています。

【了】

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コメント

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3件のコメント

  1. なかなかに需要がありそうな区間だから、既存インフラの有効活用で旅客運用も再検討してほしい。貨物運用と並行しての工事は難しいとか言ってるけど、渋谷駅ホームの移設が出来るくらいなんだから、現代の技術を持ってすれば問題ないはず。要はJRにやる気がないだけ。

    • 渋谷駅ホームの移設は地下でやってた訳じゃないんだよ。
      武蔵野南線は大半が地下なんだよ。

  2. 80年代後半や90年代には、武蔵野南線旅客化を訴え当選した川崎市議がたくさんいたが、その方々はどう思っているのだろうか?
    中には、宮崎台に乗り換え駅を作るとか、新川崎から横須賀線経由品川に乗り入れるとか言っていた。