陸自に新設「機甲教導連隊」どんな部隊? 戦車も偵察も担当 前身から追う設置の経緯

機甲部隊を支えて半世紀の「戦車教導隊」「偵察教導隊」とは?

 そもそも「戦車教導隊」および「偵察教導隊」とは、どのような部隊だったのでしょうか。

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駒門駐屯地で高田富士学校長から連隊旗を受け取る内田機甲教導連隊長。これをもって正式に連隊が発足する(武若雅哉撮影)。

 前者は1954(昭和29)年に編成された「第102特車大隊」を前身とし、1962(昭和37)年に「戦車教導隊」へと名称変更した部隊です。陸上自衛隊の61式戦車(退役)、74式戦車、90式戦車、10式戦車、16式機動戦闘車などを扱ってきました。

 後者は1959(昭和34)年に編成された「偵察教導中隊」を前身とし、1963(昭和36)年に「偵察教導隊」へ名称変更しました。87式偵察警戒車、軽装甲機動車、偵察オート(バイク)などの装備品を扱ってきた部隊です。

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富士駐屯地にて、隊旗を高田富士学校長に返還する内田戦車教導隊長(武若雅哉撮影)。
富士駐屯地から駒門駐屯地まで移動する戦車教導隊(武若雅哉撮影)。
駒門駐屯地で歓迎を受ける戦車教導隊(武若雅哉撮影)。

 両部隊は、約半世紀に渡り全国の戦車・偵察部隊の指標となり、また富士学校の学生教育、調査研究のための支援を行ってきました。

 さらに、毎年8月に富士山のふもとで行われる「富士総合火力演習」では、俊敏な機甲偵察、百発百中の迅速機敏な戦車射撃を披露し、10月の自衛隊記念日「観閲式」では機甲戦力の威容を示し、国家防衛に大きく貢献してきました。

 こうした訓練や行事のほかにも、新潟地震、英国航空機墜落事故での救助、雲仙普賢岳噴火災害、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震などに、戦車教導隊は17回、偵察教導隊は6回、それぞれ災害派遣されています。

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