旧日本陸軍「自転車で電撃戦」マレー半島を駆けた銀輪部隊とは 放置自転車問題も発生
「放置自転車」問題は戦場にも
自転車は有効な移動手段ではありましたが、乗車戦闘はできません。戦闘が始まれば、自転車は置いて行かれることになります。戦場ゆえ快適な道路ばかりではなく、密林や悪路を迂回しなければならない場合もあります。100台から200台もの放置自転車が残され、そこには5、6名の監視兵が付けられました。とはいえ、せっかく前進した部隊がまた自転車を取りに戻ってくるわけにもいきません。この放置自転車は大きな問題でした。
ひとつの解決策が、現地で臨時運転手を集めることです。ここでも、自転車は誰でも乗れるというメリットが発揮されます。1名の日本兵が20名から30名の現地人をまとめて指揮して自転車を運転させ、前進した部隊へ送り届けたのです。
「言葉もわからない20人位の人種混合自転車部隊を分担して指揮、『日の丸』を先頭に何百台も銀輪を列(つら)ね、椰子の街道を微笑ましい大東亜風景を描きながら走っていくのである」(朝日新聞社 刊『マレー作戦』より引用)
当時の新聞は「大東亜共栄圏」と絡めて、プロパガンダの材料にもしました。
日本軍が守勢に回り連合軍が本物の機械化部隊を持ち込んでくると、こんな牧歌的な銀輪部隊の活動する場面はなくなります。戦車のふりをした自転車では、勝負になりませんでした。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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