学園ないのに「大泉学園駅」「一橋学園駅」なぜ? 成城学園と玉川学園は実現したが…
東京都内に位置する小田急線の成城学園駅と玉川学園駅は、駅の近くに成城学園や玉川学園があります。しかし西武線の大泉学園駅と一橋学園駅は、近くにその名前の学校がありません。学園のない学園駅ができた経緯を探ります。
近くに「大泉学園」がない大泉学園駅
西武池袋線の大泉学園駅(東京都練馬区)。奇妙なことに、駅付近に「大泉学園」という名の学校がありません。同じ西武鉄道の多摩湖線で、一橋学園駅(同・小平市)にも、近くにそうした学園の名が付く学校が存在しません(後述する一橋大学小平国際キャンパスはあります)。「一橋」と名の付く学校としては、JR中央本線の国立駅(同・国立市)が最寄り駅となる一橋大学が有名なので、西武多摩湖線の駅に一橋の名が冠されていることに違和感を抱かされます。
東京都内にはこのほか学園の名が付く駅がふたつあります。小田急小田原線の成城学園前駅(世田谷区)と玉川学園前駅(町田市)です。成城学園前駅のすぐ近くには私立成城学園の敷地が広がっていますし、玉川学園前駅では、駅前から私立玉川学園の敷地が続いています。このふたつの駅は、その名のとおりの学園があり納得がいきます。
では、学園がない大泉学園駅と一橋学園駅は、なぜその名が付いているのでしょうか。
大泉学園駅も一橋学園駅も、実は駅付近に大学が移転してくるはずでした。大泉学園駅近くに一橋大学(当時の名称は東京商科大学)、一橋学園駅近くに明治大学です。駅名と大学名が不一致で混乱しそうですが、事実です。
大学誘致を働きかけていたのは、西武グループの創始者、堤 康次郎です。堤は1920(大正9)年、不動産開発を手がける箱根土地株式会社を設立します。
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