超固い!でも攻撃弱い…戦車砲はじくも武装は機関銃 戦車「マチルダ」なぜ生まれたか

運用思想はWWIを引きずったままのマチルダI

 なぜイギリスは、このような戦車を作ったのでしょう。それには、第2次世界大戦の四半世紀前に起きた、第1次世界大戦が大きく影響しています。

 第1次世界大戦で、イギリスは世界で初めて戦車を戦場に投入しましたが、このときの戦車の役割は敵の塹壕陣地を突破するためのものであり、歩兵の進撃を支援するのがおもな目的でした。

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マチルダI歩兵戦車の乗員数は操縦手と車長兼銃手の2名のみ(柘植優介撮影)。

 敵の銃弾をはじき返し、搭載する機関銃や砲で敵の強固な陣地を破壊、そして味方歩兵の進撃を支援する……このような戦い方は、その後のイギリス陸軍における戦車運用にも影を落とします。

 やがてイギリス陸軍の戦車は1930年代半ばに、従来どおり歩兵支援用の「歩兵戦車」と、機動力を生かして敵戦車を追撃したり、敵の後方を強襲したりするための「巡航戦車」という、2種類に区分されることになり、この歩兵戦車の第1弾として1935(昭和10)年に開発されたのがマチルダIでした。

 歩兵戦車たるマチルダIは、歩兵の盾となるよう徹底的に防御力を高める一方で、敵陣地の歩兵に対する攻撃だから武装は機関銃1丁のみ、機動力も歩兵の進撃速度に合わせられれば十分との判断で、前述のような低速仕様だったのです。

 しかし第2次世界大戦は、イギリスが考えたような塹壕戦、陣地戦にはなりませんでした。ドイツの戦車戦術はスピードを生かした機動戦で、戦車のおもな敵は戦車になったため、武装も敵の装甲を貫ける戦車砲が必須となりました。要は走攻防のバランスが重要になったのです。

 その結果、防御力偏重のマチルダI歩兵戦車は、1938(昭和13)年に部隊配備が始まったばかりの新鋭戦車ながら、冒頭のフランス戦が起きた1940(昭和15)年の時点で早々と旧式化してしまいます。

 しかも車体サイズを、イギリス国内における橋梁の構造制限に合わせてコンパクトに作っていたため、発展性に乏しく、自走砲や戦闘工兵車などに転用することもできませんでした。

 こうしてマチルダI歩兵戦車は、イギリスがフランスから撤退したのを最後に戦場での運用がなくなり、以降は、イギリス本土で訓練用として用いられるにとどまりました。

【了】

【写真】砲塔側面の目がポイント 往時の姿で展示されるマチルダI

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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2件のコメント

  1. なんでこんな極端な戦車を作ってしまったのか?
    それは英国が、戦車発祥国であり、海軍国であったのに起因するのでは?
    てか、戦車=鉄の箱に兵隊と大砲や機関銃を積み重くて沈み込むタイヤ
    の代わりに無限軌道(キャタピラ)を履いて道無き道を突き進む、、、
    ラウンドシップ=陸上軍艦、
    の、開発を命じたのは当時、海軍大臣だったウインストン・チャーチル
    だから、ぇ?、陸軍大臣じゃなく?、海軍が主体となって新兵器・戦車
    は開発されたのョ;ぃぁマヂで;
    つまり海軍の人間からしたら当時すでに何万トンもの弩級戦艦を海の上で
    乗り廻してて、この軍艦の小型版を陸上でも乗り廻せばィィぢゃんて発想
    が陸軍の人間には出来なかったのョ;

  2. この頃は戦車同士で闘うなんてのはなかったからあくまで歩兵の盾、それに大口径の武器は非常に精度が悪かった、ドイツも最初は似たようなものだった、これ以降どんどん進化していくなだよ。