「零戦」は数字付くのに「雷電」「烈風」なぜ愛称? 大戦で旧海軍機名が変わったワケ

航空機の運用当初は皇紀ではなく和暦を使用

 ちなみに、皇紀が採用される前には和暦で〇〇式と名称が付与されていました。そのため1921(大正10)年に初飛行した旧日本海軍初の国産艦上戦闘機は「一〇式艦上戦闘機」と命名されたほか、ドイツで開発され、1927(昭和2)年頃に日本で生産された水上機は「二式水上偵察機」と命名されています。

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零戦の後継機として開発されていた艦上戦闘機「烈風」(画像:アメリカ海軍)。

 一方で、1942(昭和17)年、すなわち皇紀2602年に制式採用された機体にも再度「二式」という名称が用いられました。このとき制式化された機体には「二式水上戦闘機」などがあります。

 しかし、二式水上偵察機と二式水上戦闘機は、同じ「二式」ながら開発には約15年の開きがあります。ある意味、これなどは制式名称を和暦から皇紀に変えたことによる影響といえるでしょう。

※一部修正しました(7月27日17時00分)。

【了】

【写真】日の丸ではなく星を描いた旧日本海軍戦闘機「雷電」&「紫電」

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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コメント

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2件のコメント

  1. 「強風」は水上戦闘機です。艦上戦闘機ではありません。

    • ご指摘ありがとうございます。訂正いたしました。