京急の品川駅が今に至るまで 過去に2度移転 ターミナルビルも 悲願の東京市内乗り入れ
ついに八ツ山橋を渡る ターミナル駅「高輪」にビルディング建設
八ツ山橋の竣工から8年が経った1922(大正11)年、東京市電の電車のみ一方的に八ツ山橋を渡り、京浜電鉄品川(八ツ山)駅まで運行を開始します。京浜電鉄にとっては、将来的に東京市電の路線に乗り入れるための譲歩だったようです。
そしてとうとう1925(大正14)年、京浜電鉄も東京市電と線路を共用して、国鉄品川駅前への乗り入れを果たします。京浜電鉄は冒頭で述べたように国鉄品川駅とは道路をはさんだ向かいに鉄筋3階建てのクラシックな駅ビル(高輪ビルディング)をつくり、高輪駅と名付けました。
高輪ビルディングは1階が駅業務施設で、それに続いて2両分の旅客ホーム4面と発着線3線、貨物ホーム1面1線が並んでいました。ビルの中2階と2階には、有名飲食店や冨山房書店などが入り、始発ターミナルの駅ビルとして堂々としたものでした。
余談となりますが、高輪ビルに向かって左隣にあった旅館は、1872(明治5)年の品川駅開業の頃からありました。1930(昭和5)年に4階建てのビルとなり、2008(平成20)年まで京品ホテルとして営業していました。京浜ではなく京品という名が示すように京急電鉄とは無関係のものです。現在、品川駅高輪口前では京急の「ウィング高輪WEST」より隣のパチンコ店の方が目立ちます。ここがかつて京品ホテルだった地です。
品川駅は品川区ではなく港区です。