ホームの屋根落ち火の手も 東京駅と関東大震災 犠牲者ゼロにした駅員の神対応

焼け落ちた鉄道省 客車は水を浴びせ人力で移動

 当時、東京駅のホームは第1から第4までの4面で1~8番線があり、現在の新幹線ホームがあるあたりは、線路が何本も並ぶ客車の留置線(北部収容線と南部収容線)でした。北部収容線の東側には鉄道省の本庁舎がそびえ、北部収容線と第4ホームの間に東京車掌室の建物がありました。南部収容線付近には機関車の基地である東京機関庫もありました。

 地震発生当時、東京駅構内には、ホームと収容線合わせて275両の客車が停留されていました。そうした東京駅へ1日夜、北から火災が迫ります。まず木造建築の鉄道省本庁舎が焼け落ちてしまいます。隣接する北部収容線の客車にも火が回り始めました。

「東京駅の存亡は、東京車掌室の死守にあり!」

 吉田十一(そいち)駅長のこの命により、東京駅員による決死の消火活動が開始されます。北部収容線の客車が燃えれば東京車掌室に延焼し、そうなると隣接するホーム上屋に火が移り、赤煉瓦駅舎も全焼の危機となるためです。

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屋根が落ちた東京駅第3ホーム(画像:『関東地方大震火災写真帖』)。

 当時の客車には、屋根の部分に車内手洗い用に使う水タンクがありました。駅員は客車の屋根にのぼりタンクの水をバケツに移し、それを猛火が迫る建物や客車へ盛んに浴びせかけます。連結手(車両の連結分離係)は全身に水をかぶるや否や線路を走り出し、無事な車両を切り離すために燃え上がる車両に近づいていきます。夜で暗いのに加え、煙でよく見えず、吹き荒れる風で音もよく聞こえない中、分岐器を作動させる転轍手も大声を出しながら線路を行き交います。

 最初は避難させる客車を機関車で引き出していましたが、次第に数名の人力による手押しで客車を動かしていくようになりました。

 こうして格闘すること4時間。夜12時頃に火の手は収まり、東京駅は延焼を食い止められました。旅客ホームも赤煉瓦駅舎も無事で、駅構内で焼失した車両は48両に留めることができました。

 東京駅を救ったのは、いわばマニュアルにない事態での駅員たちの行動でした。震災に対しては日ごろの備えがもちろん重要です。それと共に、可能な限りの想像力を働かせた防災準備が必要なことも教えてくれます。

【了】

【地図】関東大震災 東京駅付近の焼失エリアと出火地点

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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コメント

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1件のコメント

  1. 客車の水タンクにはまだ空気圧による揚水装置がなかったので屋根に備わっていたのですね。戦後サハリンやインドネシアに輸出された車両にも屋上にハッチがあるものがありました。特に前者は妻板に梯子もついていました。またインドネシアではウオータースポートが健在なのも頷けます。