吉永陽一(写真作家)の記事一覧
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。
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タイへ渡った「北斗星」の機関車「どう動かせば…」 壊す寸前で救った日本人鉄道ファンの輪
JR北海道で廃車となったDD51形の2両はタイへ渡り、国鉄の複線化事業を請け負うAS社の工事用機関車になりました。しかし言葉の壁や整備の難しさなどから正常に運転するまでが大変。これを救ったのは、偶然出会った日本人鉄道ファンでした。
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【空から撮った鉄道】富士急行線は勾配を登り続け、富士山駅でスイッチバックする
“空撮し続ける”というと仰々しいプロジェクトに思えますが、私には毎年実施するメインの空撮の行き帰りで撮り続けている鉄道がいくつかあります。そのひとつ、富士山麓電氣鐵道富士急行線を紹介します。
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「おいらん車」オヤ31形トキ鉄へ ハリセンボン出た車両、今後何に使う? 鳥塚社長に聞いた
JR西日本に長らく保管されていた、「おいらん車」こと戦前の建築限界測定車オヤ31 31が、えちごトキめき鉄道へ譲渡されました。そこには「働く車両を展示すること」にかける鳥塚社長の思いがありました。
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渋谷~代官山に「廃駅」があった!? 東急東横線の地下化10年 地上時代の記録
東急東横線の渋谷~代官山間は、地下鉄副都心線と直通するにあたり、10年前に地下化された区間です。それまでは地上の高架区間で、廃駅「並木橋」の痕跡もわずかにうかがえました。
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【空から撮った鉄道】鉄道開業150年 激変しようとしている品川~田町
2022年は日本初の鉄道開業から150周年の節目です。日本初の駅のひとつである品川駅から、現在の高輪ゲートウェイ駅や田町駅付近まで存在した「高輪築堤」の姿を紹介します。周辺では再開発事業がかなり進行していました。
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東京駅ホームにあった「妙に古い柱」は巨大ターミナルの100年を知っていた
1914年に開業した東京駅。この時からホーム屋根を支えた鉄柱の一部が、震災と戦災を乗り越えて100年あまり使用され続けました。現在はホーム屋根の改修に伴い撤去済みですが、一対2本は保存されています。現役末期の姿を振り返ってみましょう。
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日本初の鉄道はなぜ「新橋」からだったか 初代新橋駅に汐留の地が選ばれた理由
鉄道開業150年の節目に、その始点となった新橋駅を見てきました。初代駅は現在の汐留にあり、そこには「旧新橋停車場」として駅舎が復元されています。丹念な発掘調査を経ているだけあり、鉄道開業に留まらない歴史に触れられます。
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冬の守護神「ラッセル車」社員減で車掌が兼務 電気代も圧迫 鉄路守る厳しさ弘南鉄道に聞く
青森県の弘南鉄道で94歳のラッセル車が現役です。その名はキ100形。自走はせず、機関車に後押しされ走ります。ローカル線の冬は古豪の車両と、職員の絶え間ない努力で守られていました。
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【空から撮った鉄道】「日本一短い新幹線」は日本一海に縁があった 開業日と翌日の西九州新幹線
2022年9月23日、武雄温泉~長崎間に全長約66kmの西九州新幹線が開業しました。この「日本一短い新幹線」の空撮は、開業日と翌24日に実施。空港管制圏内を考慮しながら「かもめ号」を追いました。
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戦前も同一ホームだったJR山手線渋谷駅 いつ、なぜ2面に? 外回りホームと共に消えた“記憶”
渋谷駅は日本全国で行われている駅再開発の中でも、トップクラスの激変ぶりです。東急東横線、東京メトロ銀座線、JR埼京線ホームの改良と進み、いよいよ山手線も島式ホーム1面となりました。