交通量は超ド級「京葉道路」全通40年 日本初の自動車専用道から激変した千葉の大動脈
千葉の大動脈である京葉道路が開通から60年、全通から40年が経ちました。もともと日本初の自動車専用道として開通し、周辺環境は激変。日本有数の交通量の道路へと変貌するまでに改良を重ねてきました。
日本初の自動車専用道、千葉の大動脈へ変貌
東京都江戸川区と千葉市を結ぶ有料道路「京葉道路」が、1980(昭和55)年の全線開通から、2020年10月で40周年を迎えました。この京葉道路、NEXCO東日本が管理する高速道路のなかで、交通量がずば抜けて多い路線です。
同社によると、京葉道路の交通量は1日約28万台に上ります。同社が営業する路線で最も交通量が多いのは、東北道の1日約32万台ですが、埼玉から青森までおよそ680km全線の交通量であることを考えると、わずか35km強で1日28万台という京葉道路の交通量がいかに多いかがわかるでしょう。
京葉道路はもともと、1960(昭和35)年に東京都江戸川区~千葉県船橋市間(1期区間)が開通し、翌年には「日本初の自動車専用道」に指定されました。京葉道路のメンテナンスに携わるNEXCO東日本関東支社 千葉管理事務所の工務担当課長 牛田和之さんによると、その計画当時、国道14号に集約されていた千葉から東京への物産・資源輸送の転換道路としての役割を期待されたものだったといいます。なお当時は、「日本初の高速道路」とされる名神高速もまだ開通していません。
1期区間の開通からは60年、その後の全線開通から40年を経て、京葉道路は周辺環境も含めて激変しました。
船橋ICから先は2期、3期、4期と20年をかけて延伸しますが、1966(昭和41)年に幕張IC(2期区間)まで開通した当時の写真を見ると、京葉道路のすぐ南側まで海が迫っています。いま東関東道やJR京葉線が走っているあたりは、京葉道路の開通後に埋め立てられ、都市化が進んだのです。牛田さんによると、京葉臨海・内陸工業地帯の急速な発展により、京葉道路の交通量も増加したといいます。
また東京~千葉を結ぶメインルートとして定着したことのほか、交通量が増える要因になった、もうひとつの契機があります。それは成田空港の建設と開港です。
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